愚問自答「事例くれくれ君への緩やかな嫌悪感はどこからくるのか?」
「事例くれくれ君」という言葉を初めて聴いたとき、「うまいこと言うなぁ」と膝を打った記憶があります。
事例くれくれ君、そこそこの確率で遭遇します。
最初はシニアに多いかと思っていましたが、若手にもそこそこの割合でいます。
個人的な感触ではオペレーティブな業種・職種に、都心よりは地方で多く遭遇します。
そして事例くれくれ君については結構苦手、というか「あー、またこのタイプかぁ」と残念な気持ちになってしまいます。
今回の愚問自答は、この「事例くれくれ君への緩やかな嫌悪感」が何に起因するかをしたためてみます。
尚、事例くれくれ君については中原先生が名文を書かれていましたのでご紹介します。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakaharajun/20161029-00063844/
事例くれくれ君への嫌悪感について、最初は「オリジナリティのなさ」が要因と考えてました。
例えば、
「他社より真新しい商品を開発するにはイノベーションが重要だ。ついては事例が欲しい」
という相談を受けたとしましょう。
一見、自己矛盾を含んでいるように思えます。僕も最初はそこに違和感を抱いてました。
ただよくよく考えてみると、コンサルティングにせよ、調査研究にせよ、ファクトの収集というのは仮説構築〜検証まで様々な場面でフツーに行っていることに気がつきました。
僕自身、新規事業の成功要因を研究するなかで初期段階に相当数の事例を収集してます。(最近は自分が関与したもの自体が事例になりつつあるため、収集行為という面では楽です)
よって、事例を見ることそのものは違和感の正体でないことがわかりました。
では、何か?
答えは「事例」ではなく「くれくれ君」にありそうです。
「事例欲しい君」でも「事例集めさん」でもなく、「事例くれくれ君」と書いたところが、名付け親のセンスの良さですね。
事例くれくれ君は大抵ろくすっぽ調べずに「事例がないとできない」と言います。
または自分ができないと言いたくないプライド高い人の場合は、「周りに説明できない」と謎ワードを置いていったりします。
最初、このようなセリフを聴いたとき
「時間稼いでるのか?」
と緻密なコミュニケーション戦略の可能性を疑ぐりましたが、そういうものでもなく、
「とりあえず」「なんとなく」、「事例が欲しい」らしいです。
僕としてはその主体性のなさが「嫌だなぁ」と思うのです。
よくある言い訳は「時間ない」「知恵ない」「お金がない」ですが、
個人的な経験では、大抵のことに関して、googleでごく普通のキーワード検索を30分くらいすれば、ある程度の事例は集まると思います。
つまり、ググってみることすらせず、他人に事例を求めるという態度が「くれくれ君」たる所以で、そこが嫌悪感のホットスポットなのです。
何度か経験してますが、こういう人は仮に事例を渡しても何もしません。
何かアクションする人は自分でもある程度調べていて、その上で"具体的な"質問をします。
ちなみにこの手の事例くれくれ君への対処法としては
「事例はいくつかありますが、外部環境やケイパビリティに違いがあるため、そのものが参考になるとは思いません。
むしろ、どのような点について疑問や不安があるのでしょうか」
と真摯な対応をしています。
(質問を質問で返しているだけですが)
結論:「事例」はOK、「くれくれ君」はNG