愚問自答「カタカナ語を使うのは有りか無しか?」
世の中全体がそうなのか、単に僕の周りがそうなのか、そこそこの確率でカタカナ語を使う人に遭遇します。
特にLinkedIn経由のメールがシビれる。(以下は僕にて少し加工した文)
「◯◯様
お世話になっております。
私は◯◯の◯◯です。
あなたのbackgroundから、ぜひcareer changeをお勧めしたいと思い、mailいたしました。
当社がfocusしている業界でuniqueなopportunityがあります。
電話でも当社officeでも、結構です。Casualなmeetingをいたしませんか?
Replyお待ちしています。」
ルー大柴かっ!と、突っ込みたくなりました。
これ、書き手が海外の方ならまだ分かるのですが(その場合は最初から全文英語で構わないのですけどね)、普通の日本人だったりするから、謎めいてます。
メールの書き方をそう習ったのか?!
ちなみにuniqueなopportunityは多少興味あり、casualなmeetingくらいなら良いかとも思いましたが、正直このトーンのメールが週に5〜6本くるため、Replyはしませんでした。
実害はないため(むしろちょっと楽しい)、別に良いと言えば良いのですが、なぜか「カタカナ語は使わないように」と言われていますよね。
というわけで今回は「カタカナ語を使うのは有りか無しか?」とします。
カタカナ語使用に関する意見については以下のように区分できます。
1.積極使用派「極力、カタカナ語」
2.自然使用派「自然に口から出る分はok」
3.抑制派「なるべく使わないようにする」
4.禁止派「一文字足りとも使ってはダメ」
世の中、1と4は少ないと思います。
(僕も1は3〜4人、4は1人くらいしか会ってないです)
となると、世論はどうやら2と3のせめぎ合いになります。
これはその言葉がどこまで市民を得ているかが論点となります。
例えば、僕は「ケイパビリティ」という言葉を使いますが、これは一般的ではないです。
ただ、概念的に日本語に変換しづらいため(強いて言うなら組織能力とか機能遂行力)、「ケイパビリティ」と言います。
一方、日本語に変換しづらい言葉という段階で、人によって捉え方が異なり、認識共有がしづらくなるため、極力カタカナ語は使わないというのも1つの理屈です。
(認識共有をコンセンサスと書こうと思いつつ、コンセンサスという言葉の意味はコンセンサスがとれてるのか分からなくなったため、認識共有としました)
じゃあ、3で良いじゃんという話ですが、個人的には抑止してると新しい概念がインプットされなくなるため、それはそれで危惧します。
(実際に、日本企業はケイパビリティの概念が定着してないから行き当たりばったりの組織戦略になりがち)
抑止派がまかり通っていたのは1970〜90年代のモノカルチャー時代であり、これからの彩溢れる時代は自然にカタカナ語を使うべきと思いました。
結論:
もう少し、ルー語より日本語よりくらいにしてくれると丁度良いかな…