愚問自答「誠実はなぜ難しいか?」
米国ドラマ「SUITS」のシーズン7がprimeで視聴できるようになり、毎話ワクワクしながら観ています。
※以下、ネタバレにならない程度に書きます
このドラマは弁護士の話なのですが、根底には「誠実さ」が1つの柱になっていると考えています。
そして、これがなかなか難しい。
登場人物は皆非常に聡明なのですが、色々なトラブルに対処していく中で誤解や気持ちのすれ違いが生じ、葛藤しながらも正しく在ろうと努力する…という、とても人間味あふれる点もこのドラマの魅力と思います。
さすがに本ドラマほどではないですが、我が身を振り返ると、必ずしも誠実ではなかったな…と思うところもあり(もちろん悪意はないのですが…)
「つくづく誠実って難しいなぁ〜」と思い、筆をとってみました。
ナイスミドルの哀愁として御賞味ください。
ドラマや自分の体験に思いを馳せながら、誠実であることの難しさの要因を以下のように考えました。
1.定義しづらく、絶対解もない
2.長考がマイナスに働く
3.複数の人が関わると複雑
4.言葉にしづらく、言葉にできても伝わりにくい
それぞれ噛み締めていきます。
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1.定義しづらく、絶対解もない
まず、「誠実さ」が定義しづらいです。
辞書を引くと「真心」「真面目」というキーワードが出てきますが、そうすると今度は「真心・真面目って何?」と堂々巡りしてしまいます。
例えば「嘘をつかない」「ごまかさない」というのは、誠実っぽい感じがしますが、必ずしも自分が正しいと思うことが自分以外にとっても良いとも限らず、良くないことをするのと誠実が同居するのか実に悩ましいです。
人を傷つけたとしてもそれは誠実なのでしょうか?
逆に、人を傷つけなければ嘘をついて良い、というわけでもなさそう…。
非常に難しいです。
僕的に思うならば
「自分がやましいと思うことはきっと誠実ではない」
ということぐらいでしょうか。
それでもなかなか実践は難しいものです。
そして相手や状況によって、自分がとる言動が変わり、かつ相手も状況によって受け止め方が変わるため、絶対解などというものも無いと思います。
要は「ケースバイケース」という言葉に収斂されるのですが、かといって軽く扱えるものでもないのが難しいところです。
2.長考がマイナスに働く
何かをする前に「一度冷静に考えてから行動しよう」と色々と思案している間に、相手が不安になってきたり、猜疑心を持ってしまうこともあります。
例えば、社内のAさんから案件に協力してくれないか?と相談を受けたとき、
「自分の現状のキャパシティとスキルを考え、Aさんも自分も楽しめるならやる」
というように考えています。
物は考えようで「まずやってみる」というのも一つありますが、「結果的に出来ないことの方が迷惑ではないか?」「自分のスキルを過大評価してないか?」と考えることは決して不誠実ではないと思います。
僕自身、30歳を超えてから意図的に即断即決をしなくなり(20代はわりとしてた)、熟考することで"軽さ"をなくそうとしていましたが、
最近になって「考えている時間と言動の重みは必ずしも比例しない」という気もしてきました。
例えば、本当に心からやりたいことであれば即答しても良いと思いますし、仮に一旦持ち帰ったとしても集中検討して早めに答えを出すこともできるのではないでしょうか。
思うに、「じっくり考えていること」よりも「待たせていること」が相手を不安にさせるのかもしれません。
とはいえ、あらゆることを即断即決できるほどの判断力や頭の回転はないため、
・慎重に考える点がいくつかある
・考えた結果によっては希望に添えない可能性もある
・いつまでに答えを出す
ということを相手に伝えるよう心がけています(いつもできているわけでもないですが…)
その意味では、相手とコミュニケーションをとるときに、「こういう話になれば即答しよう」という期待値みたいなものを事前に持っておくことも大事と思いました。
ここで書いていることの実践はなかなか難しいですが、案外、基本は報・連・相かもしれないですね。
3.複数の人が関わると複雑
これもなかなかクリティカルです。
1対1の関係であれば物事はシンプルかもしれませんが、実際は複数の人との関わりが同時並行に生じるため、とても複雑です。
(冒頭の「SUITS」の醍醐味もこの複雑さだったりする)
例えば、比較的わかりやすい例でいうと就職活動があげられます。
「第一志望ですか?」
と聞かれ、他にも受けていて正直甲乙つけがたいとき、どう答えるのが誠実なのでしょうか?(一時、ネットニュースで話題になりましたね)
他の例でいうと以下のようなことはないでしょうか。
・Aさんからある案件Aに誘われる
・その時は別の案件Bが近々に始まる可能性があり、申し訳ないけど断る
・Aさんは残念ながら了承し、Cさんに声かける
・一週間後、案件Bの話が立ち消えて、キャパシティが空く
・自分としては案件Aに入れる余裕ができたが、案件AはAさんとCさんでやっているようだから、自分の入る余地はないと、別のDさんから誘われた案件Dに入ることにする
・後日、Aさんから「案件AはCさんだけでは力不足で、実はあなたにも入って欲しかった」と言われる
この場合の行動は果たして不誠実なのでしょうか。
それこそ報・連・相を徹底すべきという考えもありますが、それはAさんも声がけするときにもう少し丁寧にすべきではないでしょうか。
つまり、自分が誠実な言動をとるときには、相手も誠実であることも必要ではないかと思いました。
4.言葉にしづらく、言葉にできても伝わりにくい
考えを伝えることは非常に大事です。
一方で言葉だけでは伝わらないこともあります。
武田鉄矢が「僕は死にません」と言っただけでは名シーンにはならなかったでしょう。やはりトラックの前に飛び出すということが浅野温子の心を打ったのだと思います。
(飛び出されたトラックの方はエライ災難でしょうが…)
歳を重ねるほど「言葉の重み」というのはあり、それは行動を伴います。
そして、行動というのは相手に伝わるまでかなりの時差があります。
下手をすると数年を要するかもしれません。また、行動を示したくてもタイミングが合わない場合もあります。
ただ、この「行動で示す」というのはあくまで自発的にやるものであり、強要されるものではありません。
似て非なる言葉ですが、「誠意」についても、
「誠意を見せろ」
という場合は、なぜか根拠なき値引をしなくてはいけないというジャパニーズ・ストレンジ・カルチャーもあり、これは本稿でいう誠実とは掛け離れていると思います。
(僕は言われたことはないですし、言ったこともないですが、この「誠意を見せろ」と言っちゃう人って、どういう心境なんでしょうか?
心の中で思っても口には出さない方が良い言葉と思います)
分かりやすく言えば、
「私は誠実です」
と自ら言う人が胡散臭く見えてしまうというものですね。
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このように考えれば考えるほど、誠実というのは難しく、そのためドラマとして観ると面白いのでしょうね。
結論:
誠実についてこんなにクドクド考える僕自身も、必ずしも誠実ではないと思うので、誠実は難しい…!