愚問自答「コミュニケーション能力の話題を聞くとなぜイヤな気分になるのか?」
僕だけなのかも知れませんが、俗に言う「コミュニケーション能力」について見聞きするたびに、何とも言えずイヤ〜な気分になります。
何でだろーなぁと、シミジミ思索に耽けたところ、自身が世間様の言うコミュニケーション能力が低いからだ、ということに気付きました。
そんなわけで、僕のコミュニケーション烈伝を振り返りながら、どーしてコミュニケーション能力の話題がイヤなのか愚問自答してみます。
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思えば幼少期から自己顕示欲が強く、自分のことをベラベラとしゃべる人間でした。
社会に出るまではそれでok。
唯一に近い社会人との接点の就活も基本的にはプレゼン大会みたいな感じだったから入念な準備(下書きと練習)をすれば何とかなりました。
で、社会人になり、いきなり苦労したのです。
当時の僕は投げっぱなしジャーマンみたいなone way野郎だったので、各方面から「コミュニケーションがよくない」とたしなめられるわけです。
叱られるとイヤ〜な気分になるため、健気にも和田裕美さん、箱田忠昭さん、中谷彰宏さんの本を読んで勉強しました。
結局コミュニケーションについてはよくわかりませんが、「要は若手は話すより聞けってことね」と理解し、それからは、
「ふむふむ。そうですか」
「ほほぅ。それはそれは…」
「それ、スゴいっすね」※
「グラス空きましたがどうします?」
の4コマンドくらいに単純化しました。
※「スゴい」は、相手がタフな状況でもエクセレントな状況でも、いかようにでも使えて便利です。オススメです。
するとどうやら「彼は話をちゃんと聞く」と老若男女から仰っていただき、
「なーるほど。こういうことなのか」
と、実際のところ何がどういうことかよく分からなかったですが、
「沈黙は金。雄弁は銀」
とコミュニケーションのコツを掴んだ気になってました。
(実際、年を食うほど人の話を聞いてる方が楽しいということも、後々知りました)
ところがどっこい、外資しかもコンサルに転職すると状況は一変しました。
「会議で一言も発しないヤツは価値がない」
という、冷静に考えたら随分と極論なカルチャーに入り、
「ほほぅ」
とか言ってられなくなりました。
しかもただ話せばいいと言うものでもなく、端的にシャープな発言をしなくてはいけない…というのもなかなかのプレッシャーです。
またしても僕はコミュニケーションの迷宮入りをしたため、内田和成さんや後正武さんの本を読み、毎日トライ&エラーをしました。
そいで、これまた「要は結論から言えば良いのね」と例によって極端に単純解釈したわけです。
そして、また新たな職場に転じるわけですが、ここまでくるとモーいい加減、人に合わせるのも面倒臭くなってきたため、自分で"コミュニケーションの型"を決めました。
・基本は聴くに徹する
・出来るだけ相手の発言を先読みする
・相槌は基本オウム返し
・最後にチョコンと自分の考えを乗っける
これは割と効果的でした。
ちなみに相手の発言の先読みは仮説検証のトレーニングになりますが、度が過ぎてしまい、一時期は相手が話す前に議事録で発言を書き始めたりしてました(しかもあまり外さない)。
あと、相槌は藤沢久美さんのポッドキャストを聴いて参考にしました。この方は声のトーンや間の取り方が絶妙です。
そうしていくうちにナイスミドルになったのですが、それはそれで「仕切る」ことが必要な場面も出てきて、僕はまた壁に当たっているわけです…。
これは前述の型が使えず、目下奮闘中です。はぁー困ったもんですネ。
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結局のところ、コミュニケーションというモノに関して僕が思ったのは、
1.相手あってのことのため、コレと言う解はない
2.ゆえに解のないコミュニケーションに対してアレコレ言う人には「お前にだけは言われたくない」と言う気持ちになる
という構造で、何となくイヤ〜な気持ちになるのだと思いました。
結論:コミュニケーションについてアレコレ語るのは辞めよう!