日々是、徒然に愚問自答

生来の小心者なのか、単に暇なのか、、、、日々悶々と悩みや疑問が浮かびます。しかしながらその大半は取るに足らないことで、人様の貴重なお知恵と時間を拝借するのもはばかれます。そのため、自ら産んだ愚問には自ら答えて始末をつけようという試みです。通勤電車等でご賞味くださいませ。

愚問自答「なぜ自己PRは難しいか?」

土屋賢二氏の本で「標準的な人間像」という言葉にピンとくるものがあり、ふと就活の『自己PR』が頭に浮かんだためしたためます。

 

人事の世界を離れて久しいため最近のエントリーシートを知らないのですが、僕のときは日系企業は必ずと言っていいほど『自己PR』がありました。

 

当時はまとめてエントリーみたいな機能がなかったのと、そもそもそんなに沢山エントリーしなかったため(当時はハイパー売り手市場)、僕は全部オーダーメイドしていましたが、毎回苦労するとととに「これ、書く意味あるのか?」と思っていた記憶があります。

(今にしてみれば面接準備として言いたいことを整理という意味はあると思います)

 

そんなわけで、10何年前を振り返りつつ「なぜ自己PRは難しいか?」を考えてみます。

 

----------------

この愚問は以下の観点で自答してみます。

 

1.書き手はPRすることなんぞ無い

2.読み手は一字一句にはさしたる興味が無い(多分)

 

【1.書き手はPRすることなんぞ無い】

 

こう言っちゃうと元も子もないですが、就活当時の僕は

「いやいや、ごくありふれた人生を送ってるのでPRすることなんぞないよ」

と思っていました。

 

これは僕に限った話なのかもしれませんが、いわゆる日本の教育システムに乗っかると余程強烈なアイデンティティでもないと「標準的な人間像」になるのですね。

つまり、満遍なく、解のある問いに正確に答え、飛び抜けようとしない…というものです。

このシステムで肝を冷やすところは、「教育を受けている本人が、標準的になることを漠然と理解しながら反発せずに順応する」という点ですね。

 

そんな教育を15年近く受け、いざ自分をPRしようとしても困るわけです。

PR、即ちpublic relationをしようにも、自分自身がpublicな教育と同化しているからrelationもへったくれもない。

 

そんなわけで、

・標準的な人間像の就活生が、

・ごくごく僅差な違いを、

・さもアイデンティティの根源であるように自分に言い聞かせて書いている

というのが「自己PR」の実状と思います。

 

例えば僕が就活当時に書いた自己PRは、「リーダーシップがある(ゼミの幹事)」でしたが、10数年後の現在となってはリーダーシップの欠片もなく、リーダーシップ発揮に興味もありません。

 

むしろ今から振り返れば、

「知的好奇心が強い」

「実は黙々と作業するのが好き」

「体力がある」

というのが自己PRとして正しいと思います。

 

ただ、これって働いてみないと分からないのですよね。

例えば僕は運動音痴ゆえに体力はない方と思っていましたが、仕事をしてみると40時間くらいはぶっ続けで集中して作業できることを知りました。

 

つまり、インプット/アウトプットともに他者との違いを自覚する機会の無いまま自己PRを書かなくちゃいけず、そりゃ「書くことが無い!」となるわけです。

 

余談ですが、某外資金融機関のグループ面接で、

「私は体力に自身があります」

と言った学生がいて、面接官がシニカルに

「それをどう証明していただけますか?」

とニヤニヤ質問し、くだんの学生が

「御社の屈強な外国人を連れてきてください。タックルします」

と回答したときは、心が震えました。

(ちなみに僕がこの面接で落ちたため、彼の合否は分からず…)

 

 

【2.読み手は一字一句にはさしたる興味が無い】

 

これはエントリーシートを軽んじているわけではないです。

実際に採用面接官をすると分かるのですが、エントリーシートはあくまで面接のときに質問するネタ帳のようなもので、一字一句ネチネチ見る代物ではないです。

(もちろんちゃんと目を通し、熱意や論理性とかはチェックします)

 

採用の合否は突き詰めれば「この人と働くと嬉しいか」という極めて主観的なものと思います。

そのため自己PRも一つ一つの言葉の意味よりは、文章が醸し出す雰囲気を参考にして、実際に本人と会って人柄を確認する、という位置づけで僕は読み込んでました。

(くどいですが、熱意や論理性は文章から伝わります)

 

そういったカラクリがあることを、当の就活生は知る由もないので、

「限られた文字数でどういうキーワードを入れれば良いか?」

と心を悶絶させてしまうわけですね。

 

こういった書き手と読み手のギャップを埋めるだけで就活のマッチング率は飛躍的に伸びる気がしますが、いわゆる就活対策本にはそういったことが何故か書かれていないのが不思議です。

「読み手の立場で書きましょう」みたいなアドバイスは書かれてますが、

「読み手の立場って何じゃい?」

という話です。

 

----------------

 

結局のところ、ネタがない中で得体の知れない読み手に対して精一杯考えて文章を書かなくてはいけないのが自己PRの難しいところです。

 

面白いのは中途採用のときはこういった自己PRがないことですね。

これは中途採用の場合、業務経験がそのまま自己PRになるから、という構造なのですが、新卒の場合、業務経験に類似する「学生時代の経験」や「苦労体験」も自己と並列して書かなくちゃいけないので、益々就活生を苦悶させるわけです。

そもそも全然MECEじゃない構造になってるので、そりゃ書き手も困りますよね。

 

結論:

自己PRの欄、なくても良い。

「自己PRをしてください」こそ愚問!