愚問自答「ワーク・ライフ・バランスの議論がしっくりこないのはなぜか?」
外出自粛により仕事や生活の仕方が変わった人もいるかと思います。
以前からワーク・ライフの議論はバランスとかインテグレートとか色々言われていますが、ナイスミドルの僕としてはいまいち腹落ち感がありませんでした。
そういうわけでこれを機会に愚問自答してみようと思います。
※なお『何をもってライフやワークとするか』という定義論は大事ですが、僕はそういったそもそも論はあまり好きでないので、本記事では割愛します。
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ワークとライフに関する世間一般の論に関する違和感、僕が思う形について以下項目に沿って考えてみます。
1.ワークとライフのバランスは時々によって変わる
ワーク・ライフのバランスをその一瞬で切り取って考える論がありますが、それに違和感があります。
ワークとライフは年齢とかライフステージによりバランスが変動するもので、『常にバランスが取れている』というよりも『その時々で大事にすることに応じてバランスを調整する』というものと考えています。
よって『バランスが取れている状態』よりも『バランスを調整できる能力・関係性があること』の方が大事と思います。
その意味では、個人的には若いうちにワーク重めで仕事の体幹を鍛えておくと、その後、自分の裁量でバランスが取れるようになると思います。
ただし、これが難しい点として、
・残念ながら日本の多くの会社は年功型給与のため、若いうちにワーク重めだとやってられなくなる
・残念ながら『バランスを調整する』こと自体に理解の少ない人も一定数存在する
ということもあります。
そのため、『バランスを自ら調整する』ことの実践が難しい方もいるのだと思います
2.全員がワークとライフを統合(インテグレート)するのも不安
最近は『ワークライフインテグレート』などと言われており、そもそも分けないという論もあります。
『仕事とは生涯を賭して情熱を打ち込むものである』…という話ですが、これって全員がそうすべきか?という疑問を抱くわけです。
というのも、それはそれで当人は幸せでしょうが、一歩引いてみると、組織としてものすごくモノカルチャーな雰囲気になるためです。
もちろん、インテグレートしている人が非インテグレートな人にインテグレートを押し付けることはないでしょうが、ワークにあてる圧倒的な時間量の差から、インテグレート派の意見が組織内で強くなることは自然でしょう。
もちろん『本来、価値観は全員で共有するものである。モノカルチャー上等!』という考えもあると思いますので、それはそれで尊重です。
ただ、組織として
・長く生きているとインテグレートしていた人がインテグレート解除することもある
・インテグレートした人同士で意見が合わないと仲違いリスクが高い
ということはあるでしょう。
3.ワークとライフで考えない
ということで、最近はワークとライフで考えず、「お金の出入り」「気持ちの出入り」で整理しています。
下図の通り、ライフワーク、ライスワーク、ホビー、ルーティンがあって、その中でバランスをとればいいのだと思います。
下図のようなものを書くと『楽しいことが多い方が良いんですよね?』と言われますが、そんなことはなく『全部必要』です。
というのも、
・楽しくはないことが楽しいことに確変することがある
・自分にとって楽しくはないことを楽しいと思う人もいる
ということで、自分の成長可能性と、他者の多様性の観点で、全部必要と思うわけです。
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昔はライフもワークも好調でいたい!と思っていましたが、最近は「楽しくはないこともあるものだよね」と、考え方が変わりました。
これは『苦労が必要』ということでなく、『楽しい/楽しくないは結構変わりやすいので決めつけない方が良い』ということを学んだためです。
ちなみに労働時間の長短については、最近は「短ければ短いほど良い」派です。
別にさぼりたいわけでなく、大好物でも1kgとか2kgとかはいっぺんに食べられないでしょ?という感覚で。。
結論:
ワークとライフという概念自体がしっくりこない!