日々是、徒然に愚問自答

生来の小心者なのか、単に暇なのか、、、、日々悶々と悩みや疑問が浮かびます。しかしながらその大半は取るに足らないことで、人様の貴重なお知恵と時間を拝借するのもはばかれます。そのため、自ら産んだ愚問には自ら答えて始末をつけようという試みです。通勤電車等でご賞味くださいませ。

ふるさと納税、入った方がよい?

約2年ぶりの投稿がコレです、はい。
同僚から「ふるさと納税はお得でⓇ」と昭和文体のように勧められたこともあり、時期はすっかり逃しているけど検討してみることに。

以下、日ごろから「3ステップより手順が多いサービスは利用しない」をモットーとしているワタクシ vs ふるさと納税の奮戦記です。

 

サービスが乱立し過ぎてよくわからない

「CMでは『さとふる』って聞くけど、せっかく入るなら比較したうえで合理的なサービスにしたいよネ」と思い、「ふるさと納税 比較」で検索し、サービス比較サイトへ。
いわく「徹底比較!2023年ふるさと納税サイトおすすめベスト19を発表」とのことで、すでにその数の多さに心が挫けました。

徹底比較!2023年ふるさと納税サイトおすすめベスト19を発表 (furu-sato.com)

が、さすがまとめサイトだけあり、ランキングをつけてくれていました!
では早速参考にしてみよう…(どれどれ)

うーむ…。というのが正直なところです。

楽天楽天会員でないからポイント付与の意味なし!

・ふるなび→ほかで使えるのかよくわからない「コイン」とやらを付与されても。あと家電は間に合ってるし。

・ふるさとチョイス→老舗?利用者数No.1?だからどうした。

マイナビ~ふるさと本舗→Amazonかぁ...まだマシかなぁ。

・さとふる→オリジナル返礼品…。うーん、ふるさと納税の主旨的にはアリかも。

JREJREポイントはためてない!

ANAJAL→飛行機に全然乗らなくなったのでマイルは不要!

auPontaはためてない!

ということで、これだけ見ると、ふるさと納税と言うのはポイント経済圏の住民のために存在するのでは?と錯覚に陥ってしまい、早くも僕は疎外感を覚える始末。

 

結局、操作性やポイントのお得感より「社会的意義への共感」

うーん、まぁいいや。

僕の基準は上述の通り「3ステップまでで利用」という手軽さなので、こうなったらいくつかサイトを見てみて、操作性で判断しよう。
※というわけで自治体数が1,000以上のサービス「楽天」「ふるなび」「ふるさとチョイス」「さとふる」「au」に絞り、サイトを閲覧。

 

楽天

・平たく言えば楽天ECのふるさと納税版。なので操作性はフレンドリー

【ふるなび】

貴乃花関のドアップととにかくキャンペーンに誘導しようとするトップページの作りに辟易したけど、ランキングとかも簡単に使えてラクチン

【ふるさとチョイス】

・純粋な寄付として「ガバメントクラウドファンディング」の特設ページもあるところに好感。ヒトはパンのみにあらず、なので、肉ばっかり買っても仕方なし。確かに寄付で使うのは共感

【さとふる】

・ここも純粋寄付のクラファンと災害義援金が出てきたのに好感。加えてグリーン物流の取り組みをPRしているあたりも良いなぁと思いました

au

・サイトが無骨というか、全然わくわくしない…

 

ということで、操作性はあまり変わらず、結局は企業姿勢と言うか、ノブレスオブリージュをモットーとする僕は「さとふる」をチョイス。

 

そして、登録は異様に簡単だった…

まぁ、どこでも最低限の使い勝手は整備しているとは思っていましたが、それにしても簡単でした。

①メアド登録→②認証→③住所&クレカ登録

の3ステップに見事収まっているし。

登録だけなら30秒でできそう。

 

ちなみに確定申告をするついでに、たまたま源泉徴収票も手元にあったので寄付上限額もすぐにわかりました。

これもサイトで入力する金額項目が源泉徴収票の項目と一致していたので迷うことなく、30秒で完了。

 

ふむ。

さとふるって最初の10秒くらいは「CM打つお金があるなら他に回しないヨ」と思いましたが、逆をいえば認知度を高めても対応できるだけのユーザビリティを確保しているというのは、僕のような新規参加者を逃さないという意味でも非常にいいことかと。

(このあたり、NPONGOのファンドレイジングでも同様で、よく「広告打つなら現地の活動費に回しなさい」という苦言が上がるのですが、多少の経費が出てでも総量としての寄付額を増やす方が、結果的に支援現地にお金が回るという理屈で、それは合理的なので個人的にも賛成です)

 

結論:手軽だし、これから楽しみ

というわけで、これからふるさと納税ライフを満喫してみます&迷ったら全額被災地寄付に回します。

愚問自答「ジョブ型論議のモヤモヤはどこからくるか?」

すみません。久々の投稿です。
(シリーズ化しようと①とか②とか付けて全然続けてない『投げっぱなしジャーマン記事』がいくつかありますが、いずれ続きを書きます…)

 

さて、「ジョブ型」という言葉は20年前くらいからあったと記憶してますが、ここ1年で大手企業が導入するぞ!と表明したことで、様々な論考・議論が飛び交っているようです。

「日本企業にとってのジョブ型」「ジョブ型時代のキャリア形成」などの頭のいい話は専門家の方にお任せしますが、僕はどの記事を読んでも何だかモヤモヤとした気持ちになります。

ただの思い過ごしの可能性もありますが、ちょうど良き愚問を見つけたため、少ししたためてみます。

 

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僕のモヤモヤはジョブ型の是非そのものでなく、もっと手前にある、気持ちの問題です。

 

1.人それぞれスタンスがある

世間の記事や僕周辺のジョブ型への意見を整理すると、以下のように『スタンス』の違いが見えてきました。

 

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 それぞれ簡単に紹介します。

 

 ❶旧型マッチョ(自分のスキルに自信がある×ジョブ型に反対)

・オールドスタイルの気合・根性・努力で成果をあげてきた。
・理想と現実の間で、何だかんだでオールドスタイルは普遍的と思っている。
・自分の成功法に基づく成果創出と後進育成を最後の奉公と思っており、仕組みを変えられると不都合。「余計なことをしてくれるな」

クラウド(自分のスキルに自信がある×どちらでもよい)

・転職・異動など環境変化での困難を克服してきた。
・環境が変わっても自分はどうとでも生きていけるという自負がある。
・周囲のジョブ型への適用には無関心。「興味ないね」(つまり「クラウド」はコンピューティングの方ではなく、FFⅦの方です)

❸新型マッチョ(自分のスキルに自信がある×ジョブ型に賛成)

外資やコンサル(またはその掛け合わせ)や、グローバルプロジェクトなどの経験者でジョブ型経験があり、生き抜いてきた。
・ジョブ型の合理的な側面に慣れ、自然に思っている。
・ジョブ型導入に積極賛成。「ようやく日本も合理的になってきた」

❹窮鼠(自分のスキルに自信がない×ジョブ型に反対)

・現状でもなかなか成果を出せず、悩んでいる。
・ジョブ型が入ると自分の居場所がなくなると不安に思っている。
・ジョブ型導入を過去の成果主義導入と同類と捉えている。「黒船はこないでほしい」

❺捨て鉢(自分のスキルに自信がない×どちらでもよい)

・成果は高くはないが、低くもない。
・仕事の出来不出来とは別次元で、人生における仕事のウェイトが高くはない。
・仕事と成果に対して世捨て人のように達観している。「ホント、どっちでもいいわ」

❻他己優先(自分のスキルに自信がない×ジョブ型に賛成)

・実際の成果の高低にかかわらず、努力はしているが漠然と自分のスキルに自信がない。
・日本型人事慣行に閉塞感を抱いており、ジョブ型になることで優秀な人が活躍できるようになると思っている。
・自分は努力するとして、それよりもジョブ型によって組織が活性化することを望む。「これでうちの会社がよくなるといいんだけど」

 

2.「自分事」に終始し「他人事」への視点が少ない

上記の6つのスタイルのうち、他者を配慮したうえでジョブ型の是非を考えているのは❻他己優先のみになります。

そして、ここに僕のモヤモヤがあるのです。

ジョブ型が入る/入らないに限らず、1つの組織の中には❶~❻のそれぞれの人がいます(もちろん組織によって配分は異なる)。
それなのに、変化の兆しが生じた際に自分事の基準だけで善し悪しを判断する発言がジョブ型論議では多いな、とモヤモヤしています。

自分事を超えた他人事への言及が少ないのではないかと思います。
そこに人間の悲しみを感じているのでしょう。

 

3.スキルのある人が他者のためにスキルを使うことがカギ

ジョブ型が導入・普及される場合(正直、広まるのかは僕にはわかりません)、キーとなるのが❷クラウドだと思います。

このタイプが自分事を超えて他者へ関心を持ち、❻他己優先と協力すれば、❻他己優先にとって強い味方になりますし、❷クラウドも平和的な組織の成長という観点で、視座が高まるでしょう。

クラウドの持つ困難の克服ノウハウを、❻他己優先が組織的に展開することで、皆がジョブで必要なスキルセット獲得・成果達成をできるようにすることが、本質的に必要なことと思います。
そのような相互協力的なスタイルがあれば、ジョブ型の良い面が作用すると、ワクワクしてきます。

(ここまで書いて、そういえばFFⅦクラウドが過去を乗り越えて、自分以外の何かのために戦うようになる壮大な人間ドラマだったことを思い出しました)

 

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危機や変化に直面した時に『地』が出るとは言いますが、出てくる『地』があまりに自分事ばかりなことが僕のモヤモヤの原因なのでしょう。

 

結論:
蓄積したスキルは自分が生き抜くためだけに使うのでなく、皆の不安を取り除くためにも使う。

愚問自答「どうすれば数字に強くなるか?①」

3カ月もほったらかして、気づいたら2021年になっていました。
スミマセン…。

 

さて、今回はたまに相談を受ける「どうすれば数字に強くなるか?」ということについて書いていこうと思います。

ちなみに僕自身は数字に強くない、というか元々は結構弱い方でした。
幸か不幸かコンサルタントという仕事についてしまったため、仕方がないから克服したのですが、そんな僕の視点でいうなれば数字に強くなるのには以下の2段階があると思います。

【STEP1】「コイツ、数字弱いな...」と思われないようになる

【STEP2】「この人、数字に強いね!」と思われるようになる

僕の場合は、STEP1で滅茶苦茶に苦しんでいました。
「お前に数字は触らせられない」と言われてトイレで泣いたこともあるくらいですww
コレ、結構きついですよね。

 

2回に分けて、そんな傷心の僕がどうやって克服したかを愚問自答していきます。
今回は【STEP1】「コイツ、数字弱いな...」と思われないようになるについてです。

 

 

1.数字に関するよくある誤解

一応、僕も上司という役割を担っているのですが、確かに若手に対して「コイツ、数字弱いな...」と思うことがあります。

そして何人かを見ながら以下のことに気付きました。

・仕事の数字力は、数学の成績と関係ない

 僕自身、数学はそこそこ得意でしたが、仕事ではダメダメでした。
 若手を見ても、絶対に受験時代は数学が僕よりできたはずなのに弱いな…て思います。
 (ちなみに数学修士出身の若手はさすがに数字に強かったです笑)

 

・いきなり勉強して知識で克服しようとする

 ありがちな話ですが、いきなり統計の教科書読んでも使わなければ一向に数字に強くなりません。
 他にもモンテカルロシミュレーションとか知っていても、使わなきゃ意味ないですよね。
 (僕も職業人生で2回しか使ったことないです。つまり一般的な人生では無用です)

 

・センスだと思っている

 これも多い!僕自身がそうでしたが、センスなんかなくても努力で人並み以上になれます。
 実際、これまで仕事で会った人のなかで「数字のセンスあるなぁ」と思ったのは2人くらいです。それ以外はそれほど変わり映えのない感じです。
 逆に言えば、「センスないなぁ」と思ったのも2~3人くらいです。要は「慣れ」ですね。

2.上司や同僚が「コイツ、数字弱いな...」と思う場面

では本題に入ります。
かつての自分もそう思われていたのだと思いますが、僕が若手を見ながら
「コイツ、数字弱いな..」
と思うのはこういう場面です。

 

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ひっくり返すと、この①~④さえ出来ていれば数字が弱いと思われません。
で、どうも世の中の社会人は数字に弱い人が多い(らしい)ため、相対的に数字に強いと思われることもあります!

では次節から対策を解説します。

 3.基本的な数字を頭に入れる

これ、一見
「日○新聞を隅々まで読んで頭に入れろ~。なんならヤギのように喰え!」
というように聞こえるかもしれませんが、そんなことはないです。
例えば「新事業で売上100億円を目指す」と言うニュースをみた際に『大きいか、小さいか』を瞬時に判断できれば良いのです。
つまり、比較するための物差しをいくつか頭に入れておくということですね。

売上高100億円については、例えば1兆円企業だと1%ですから「2-3年で到達する最低限の目標」という意味になりますし、1億円企業だと「5-10年後の目標」ということになります。

ちなみに売上高100億円というのはCMでもおなじみの「出前館」(20年8月期)がそれくらいです。
つまり、単一サービス/マッチングモデル/手数料収益という基本的なビジネスモデルで、カバー率向上によって達成できる金額ということになります。(詳しく事業内容確認しないと断言はできませんが)

もちろん実際は大変とは思いますが、まずは「理屈の上でどれくらい」が分かることが大事。

つまり大事なのは「数字に触れる」ということです。
「じゃあやっぱり○経新聞をムシャムシャと…」と思うかもしれませんが、それも必要なく「気になったときに検索する」でOKです。

例えば「平均昇給率」「平均株価」「コンビニ 売上 店舗 1日」とかで調べれば、大抵のことはすぐにわかります。

大体1回につき10秒くらいで終わるので、日常的にその10秒の手間を惜しまないことが第一歩でしょう

4.指標の意味を理解する

よくある話ですが、ある会社について「営業利益率が高いからこの会社は良い」と言われることがあります
が、いわゆるデジタル企業では営業利益なんて低空飛行で、「ずばり売上高のCAGR(年平均成長率)のみ重要!」ということは多々あります。

上司からすれば「あなたの根拠のない判断軸で勝手に営業利益率だけで善し悪しを決めるんじゃない」ということです。

または、不動産会社の分析なのになぜか貸借対照表を一瞥もしていない人もいました。
これも営業利益だけ見て善し悪しを判断していました(しかもなぜか額)。

大事なのは「なぜその指標をみるか?」を説明できるレベルで理解するということです。
これは数字そのものより、数字をはじくときの目的意識を明確に持つということです。
逆をいえば目的さえ分ければ、例のごとく「成長率 指標」とかで検索すれば、計算式・指標自体はいくらでも出てきます。

とはいえこれでは精神論の世界を出ないので、どの指標が大事かを具体的に頭に入れる方法として僕がやったことを紹介します。
それは「業界大手2社の決算説明会資料を見る」です。

しらみつぶしなので労力入りますが、これで主要な指標はだいたい頭に入ります。
ついでに上記1の基本的な数字も頭に入ります。

ちなみに最近海外企業で見られているROICとかも、真面目に意味を考えると結構難しいです。

5.計算力・エクセル力を鍛える

暗算が速いと頭よさそうに見えますが、ここでいう計算力とはそういうことでなく、
「チェックするクセ」
を指します。

これは本当に言えるのですが、数字に弱い人の9割は計算ミスが多い!
ミス自体は誰しもしますが、むしろ「なぜチェックしない!?」ということが大事です。

例えば先ほど挙げたCAGRでは、計算方法は累乗根なので、検算は初年度の数字にCAGRを最終年までかけて、最終年の金額に一致するかを見ればいいのですが(植木算の掛け算バージョン)、それをしない人が実に多い!

僕も昔は計算ミスばかりしていましたが、あるときに
「計算した後に検算しないのは、トイレの後に手を洗わない、食事の後に歯を磨かないくらいヤヴァイことだな」
と自分に言い聞かせるようになり、それから計算ミスが減りました。

もう一つ、数字に弱い人はエクセルがとにかく汚い
エクセルのご法度集は色々出ていますし、投資銀行出身の人のエクセルの本を1冊読めば十分だと思います。「ま、きれいとか汚いとかは好みだよね!」といって実践しないといつまで経っても、産業廃棄物的なエクセルファイルが世に出回ります。

 

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というわけでツラツラ書きましたが、要するには

・日ごろから気になる数字は検索しておくこと

・計算した後は検算すること

投資銀行出身者のエクセルの本を読み、実際に打ってみる

の3つを気を付けていれば大丈夫です。

 

次回は【STEP2】「この人、数字に強いね!」と思われるようになるを書きます!

愚問自答「弱くても幸せに働くには?②」

ま、また間が空いてしまった…。

このテーマはちゃんと書きたくて、そうすると仕事で脳を使い切る平日は難しく、休日もリラックスして休んでいるうちに過ぎちゃって…

というのを3週間くらい繰り返していましたが、ようやく重い腰を上げました。

 

さて、今回は「弱い」ってどういうことか?

について考えてみようと思います。

 

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1.一人じゃないから弱くなる

仕事における『強い』とか『弱い』ってなんでしょう?

仮に職場にマウンテンゴリラがいたら、そのゴリラは『強い』でしょう。
でも、こちらが100人くらいいて、全員が麻酔銃と防護服を装備していれば、こっちの方が『強い』ことになります。(なんちゅー例えだ)

つまり、『強い』とか『弱い』というのは相対的なものなのです。
パワーの比較相手は社内のヒトだったり、顧客だったりします。

自分だけの世界にいれば摩擦もないでしょう。ノンビリといけそうです。
ただ、一人で完結して仕事をするというのは結構難しいと思います。個人事業主や自作のものを通販で売っているという形態だから一人で完結ということでなく、顧客や協力者とか必ず何かしらの接点があるはずです。

いつかの愚問自答で書きましたが、経済活動はループするので誰かが誰かの顧客になります。つまり『仕事=経済の輪の中での活動』をする限りは何らかの関係性において強弱が生じると考えられます。

piropiro2000.hatenablog.com

 

ヒトが仕事をする上で完全なる一人にはなれないし、一人じゃなくなったら強弱関係が生じる。

ただ、一つだけ光明を見出すなら
『自分の弱さを感じているとき、あなたは一人ではない』
ということでしょうか。(なんか、名言ぽくして一旦しめておく)

 

2.仕事する上で悩む「弱さ」は「性格」に起因する

強い・弱いって言っても「何について?」と思うため、仕事におけるヒト対ヒトの強弱を決める要素として以下をあげてみました。

①ポジションパワー(関係性や権限によるもの)

②知識・経験

③地頭

④体力・ガッツ

⑤攻撃性・好戦性

この5つのうち、①ポジションパワーは優越的地位がどうこうとかパワハラ、カスハラという言葉にあるとおり、社会問題になっているものです。
その意味ではすでに社会が解決策を考えて始めているので、そこにあまり一人で悶々とせず、流れに任せましょう

②知識・経験は、強さ・弱さが流動的です。昔は長く働く人が知識・経験を蓄積して有利でしたが、最近は新しい知識を早く吸収して使いこなせることがビジネスで重要だったりするので、年齢とか関係なくなってきている気もします。
また、職場が変われば必要な知識・経験も変わるし、その職場の人が保有する知識・経験も異なるので、いざとなれば転職や異動して自分の得意ゾーンにいけばよいのです。

③地頭は、仕事の成果に影響を与える要因ですが、『他者との地頭の良さは簡単に比較できない』ので、放っておきましょう。

④体力・ガッツも、仕事の成果に影響を与えますが、残念ながらヒトは年を取ると体力・ガッツが低下するので、この要素での強弱も長期戦をあてにして放っておきましょう。

というわけで、僕としては、仕事する上での強弱で一番厄介、かつ人を悩ませているのは実は⑤攻撃性・好戦性だと思います

つまり『性格悪いやつに当たったらヒトは弱くなってしまう』と思うのです。

 

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このように考えると、仕事において『弱い』というのは『優しさ』に起因するのではないかな、と思うのです。

よって、弱いから仕事ができないとも思わないし、もっと言うと『弱いことは悪いことではない』とも思います。

とはいえ、多くの人は心がくじけた経験があると思います。僕も何度かあります。

そこで次回は『うーん、弱っているなぁ』というときにどう心を立て直すか、ということについて考えていきます。

愚問自答「弱くても幸せに働くには?①」

ここ1ヶ月、人を通じて色々と学ぶ機会が多く、愚問が浮かばず更新してなかったのですが、ふと「別に愚問にしなくていいのでは…?」と思ったため、ちゃんとしたテーマで書いてみます。

『弱くても幸せに働く』というのは、僕が一人で進めている『日本から仕事のストレスとを失くすプロジェクト』のコンセプトとなりつつあるテーマで、最近になって言語化できました。

 

「弱さ」を肯定的にとらえる考え方については、3年ほど前に読んだ「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか」で初めて触れました。

なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか――すべての人が自己変革に取り組む「発達指向型組織」をつくる | ロバート キーガン, リサ ラスコウ レイヒー, 中土井 僚, 池村 千秋 |本 | 通販 | Amazon

おそらく他にも心理学的なアプローチもあると思うので、それも勉強します。
(おススメがあれば教えてください)

 

そんなわけで全何回になるのかは不明ですが、これから数回にわたり
『弱くても幸せに働くには?』
というテーマで書いていきます。

今回はこういうことを考えるようになった背景を自分語りしましょうかね。
ご興味あればご覧ください。

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ナイスミドルとして働くなかで、色々と思うことがあります。

 

・成果が求められるとガッツやスキルのある人が重宝される。
・でも人は必ずしも強くはない。むしろ普通は心が弱い人の方が多い、と思う。
・一部の強い人が突き進むキャリアが正しいとも思えない。
・それでも成果を価値とする社会では、弱い人は生きづらさを感じるのではないか。

 

僕自身はビジネスの荒波の端っこの方をコソコソと目立たないように歩き、そこそこやりたい仕事を低ストレスでやっているとは思いますが、それでも
「う~~ん、気が重いなぁ。。。」
と思うこともよくあります。

30歳前後の頃はある種『成長ハイ』で、「何が来ても大丈夫!日々成長成長成長!」という感じでしたが、冷静に考えると『成長ハイ』ってものすごくモノカルチャーな風土じゃないと成り立たないのですよね。
ゆえにコンサルのようにハングリーな人種の多い業種との相性は良いのでしょうが。

 

で、人は思ったよりも強くないから一時的にはものすごく頑張れてもどこかで心のアキレス腱が伸びちゃうんです。(僕も外資コンサルの時に心のアキレス腱をやっちゃいました)

僕が最近学び気に入っている言葉で、この状況を『元気の前借り』と呼んでます。
あくまで借りているだけなので、どこかで元気のツケ払いをしなくちゃいけないわけです。

つまり『強くなろうと思っても人には限界がある』ということなのです。
若いときは『自分を強くして、周りも強くする』と熱中していましたが、今は『みんな弱さを抱えている前提で、成果よりも心の充足を実現する』ということをめざしています。

 

ここで少し解説します。

『強くなろうと思っても人には限界がある』と言うと、
「でも世の中にはすごいパワフルで成果を出す人がいるじゃないか」
という意見も出るかもしれません。
おそらくこういう人は『周りの人の元気まで自分の元気として取り込んで成果を出している』という人で、一時的には無敵の人ですが、3年間くらいの時間軸で見ればどこかで他人の分までツケを払わされています
僕の経験則でも、この手の人はちゃんとどこかでツマづいており、つくづく因果応報だなと思います。

もう一つ、いまは『みんな弱さを抱えている前提で、成果よりも心の充足を実現する』をめざしていますが、僕自身、実践し切れていないのでマネージャとしてこれから1年間で自分のスタイルを作っていこうと思います。
(僕と働いたことがある人は分かると思いますが、僕自身もそんな大した者ではないので…)

 

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以上、今回は『弱くても幸せに働く』をテーマにしようと思った背景の考えを書きました。

次回あたりから具体的に「どうする?」を掘り下げていきたいと思います。

愚問自答「副業はした方がよいか?」

昨今、雇用・収入への不安や在宅時間が増えたことからか、副業に関するニュースを見かける頻度が増えた気がします。
とはいえ、副業をやるとすればそれなりのエネルギーを使うと思うので、実際にやる前に愚問自答してみます。

※大前提ですが副業に関しては各社規定されていると思うので副業OKという条件で以降は自答しています

 

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1.副業≠副収入

ふと「自分が抱いている副業のイメージって何だ?」と思ったので、以下のように描いてみました。

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割く時間 × 収入の有無で見ると、僕としては「副業≠副収入」と考えます。
「副業をする」と「副収入を得る」は必ずしも一致しないと思うのです。

例えば僕はこのブログやポッドキャスト「収入のない副業」と位置付けています。
というのも、僕は会社の仕事(上図でいうと「本業」)とは別に『日本から仕事のストレスをなくすプロジェクト』という勝手一人プロジェクトに取り組んでおり、このプロジェクトは収入こそないけれど、僕としては1つの事業の感覚で取り組んでいるためです。
多くの時間は割けないし、収入化もしていないけど、誰かに何を提供するために真剣に取り組んでいる活動、これは事業であることから「副業」と呼べると思います。

収入と事業を分ければ、事業側は色々トライできますよね。
このブログやポッドキャストも、これで生活しているならもっと頻度高く更新したり、ネタを絞ったりします。
でもそれをやると「たいして興味はないけど流行っていることを書く」とか「否定怖さにオブラートに包む」みたいな感じになって、楽しくはないわけです。

一方、副収入が必ずしも事業ではない、ということもあります。
例えば終業後にバイトをすれば収入は得られますが、これはダブルに雇用されて業務しているということであり事業を行っているわけではないですね。「業務」の「業」での「副業」です。

つまり目的として「活動をしたい」か「収入を得たい」かでアプローチが異なります。
ちなみに「両方」という方もいるとは思いますが、この場合「本業の人との闘い」は想像以上に厳しいと思います。
副業の記事や本を読むと「個人コンサル」が副業としてオーソドックス的な紹介をされていましたが、そんな生やさしいものではないよなぁ…と思ったりしています。

2.本業に支障がないから副業

どっちが本業?という問題は色々難しいと思うのですが、個人的には本業・本収入をしっかりやったうえでの副業と考えます。

というのもこのブログを書くのにしても、『何か書こう!』と思ってPCに向き合っても妙案は浮かばず、日ごろの生活から何気に思うところがあり、それが愚問に膨らんでいるためです。(個人的な好み&情報管理の観点で本業そのものについては書かないと決めていますが)多分、大自然に囲まれたノーストレスな生活を送っていると愚問なんぞ浮かばないはずです。
つまり僕のように「働く」とかをテーマにした場合、本業<副業にすると副業のネタが尽きてしまうのです。

僕の場合、これまで「自分がやりたいことを本業と重ねすぎた」感があります。
よって「やりたいことができないなら(他のことができそうなら)転職する」と言って、実際転職してきたわけですが、「自我優先でやりたいことは副業でやればよい」と、30代後半になって初めて気付きました

今では「好きなことを長く続けることが大事」と考えています。
というのも、僕が副業たる活動をする理由の1つに「本業引退/離脱後の活動基盤づくり」があるからです。

こういったご時世ですから本業をフェードアウトするかもしれないですし、かねてから僕は50代で引退したいと思っているので、「そのとき」がいざ来たときのための下準備です。

よって副業と本業が逆転しないようにバランスを取って副業することは人生を豊かにする一つの手段と思います。

 

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こんな感じで考えてみました。
何につけても、エネルギーがあるのであればそれを投じる活動をするのが良いと思います。

 

結論:

収入にこだわらない&本業に支障のない副業をしよう!

愚問自答「自己肯定感が高い人と低い人の違いは何か?」

自粛によって遠出やイベントごとができなくなった分、様々な本・ブログ・動画を観たり、友人と電話/チャットしたりして、色々な考え方に触れる機会が増え、自粛前よりも充実している気もします。

特に小説・映画といったフィクション作品を愉しむ時間が増え、一般書・ビジネスコンテンツとは異なる角度から色々と学ぶことが多いです。

僕が好きなタイプのストーリは、『過去の挫折などで自分のことを好きになれない主人公が、あることをきっかけに前向きさを取り戻していく』というもので、ヒューマンドラマの王道といえば王道ですが、こういった作品はとても心が温かくなります。

そんなこともあり、最近は『自己肯定感』に興味があり、どうやら『世の中には自己肯定感が高い人と低い人の2種類の人がいる』ということに気づいたので、そのテーマで愚問自答してみます。

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『肯定感』を『自分に対するもの』と『他者に対するもの』に分け、その高低から、映画に出てくるキャラクターになぞらえて、以下のように分類してみます。

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僕がよく観る小説・映画では、

・主人公は『人がいい人』だけど、押しが弱くて損することが多い
・自分の日常に『なんだかなぁ~』と思っているところに、不意の出会いがある
・色々とチャレンジする中で自己肯定感を高める

という『成長物語』を経ます。

逆に、自己肯定感が低いままでは『人がいい人』止まりで、ダークサイドに落ちる(他者肯定感も低くなる)と、主人公の友人だったのがいつの間にか『裏切る人』になったりするから、なかなか悩ましいものです。

かたや成長、かたやダークサイド、ということで、その2つの違いを考えてみました。

1.成長物語:自分を許す

フィクションでも現実でもそうですが、自己肯定感が低い人のクセとして、何かの拍子に言われたダメ出しをいつまでも心の中で反すうして思い出してしまう…ということがあります。『心の傷』ってやつです。

ただ、現実世界でもそうですが『心の傷』は一人相撲なんですよね。自分で自分を責めたり卑下したりしている。
つまり、自己肯定感が低い状態というのは『あったかもしれない可能性の中の自分(理想やこうだったかもしれない)』と『今の自分』を比較して落ち込んでいる状態なのです。

例えば、以下のようなものがあります。

・もっと勉強を頑張って第一志望校に受かっていればもっと充実した青春だった
・面接のとき緊張してなければ、希望した企業に入ってヤリたい仕事ができていた
・もっと積極的に人に話しかけていれば恋人ができて幸せな家庭を築いていた

…どれも『あったかもしれない可能性』です。そして『今の自分にはないこと』です。

こういった『パラレルワールド』をいつまでも振り返っても、あまり良いことは起きないのです。それよりも『自分を責めるのをやめよう』と『許し』をきっかけに物語は進んでいきます

許すというのは悪いことや失敗を許すというよりも
『必ずしも順調ではなかったけど、自分は幸せになっても良い』
と許可を出すことだと思います。

 

2.ダークサイド:人と比較ばかりする

一方、自分を許せないばかりか、他人を軽視するようになる人は、常に『人との評価』の中で自分を位置付けて生きています。

例えば以下のような感じです。

・自分の方が優秀なのにあいつの方が幸せなのは許せない
・こんなに頑張っている自分が認められないのは周りがおかしい
・自分が評価されないということは、こんなダメな環境は自分のいるべき場所ではない

つまり、相対的に他者を落とすことで自己肯定感を得ようとするわけです。これってあまり健全でないですよね。

ただ不思議なことに、小説・映画では一目瞭然で「あー、ダークサイドに落ちそうだな」と分かるのに、現実だと自分を客観視できないのですよね。

現実世界で見る限り、『〇〇社のXXより、うちの□□の方が美味しい/優れている』といった他者(他社)への批判が多い人はダークサイドに落ちそうな匂いを感じます。
(多分、本人は気づいていないと思うのですが、結構多いです)

この場合、『自分>他者』という形で、他者がいないと自分を認められず、過度な他者依存に陥ります
しかも、他者に依存する割にはその他者を批判するのだから、他者から嫌われていく…という悪循環です。そうなることで、内心が傷つき益々自己肯定感が低くなる…という仕組みなのだと思います。

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現実がつらいのは、自分が『良い人』『人がいい人』『傲慢な悪人』『裏切る人』のいずれにもなりうるところですね。

今回、『傲慢な悪人』については触れませんでしたが、それはまた別のところで書いてみます。

 

 

結論:

結局のところ、自分を許すという前向きな姿勢でしか自分を認められない。