愚問自答「なぜ『お客さまは神様』論に違和感を覚えるのか?」
ここ数日で2つの記事を読み、いわゆる『お客さまは神様』論に疑問を抱いたため、愚問自答します。
1つ目「お客様は神様はもうやめよう」
・マスク不足に関するドラッグストア店員の方の悲痛を元にした意見記事
http://agora-web.jp/archives/2044605.html
2つ目「心身病む官僚たち」
・霞が関の官僚の方々の激務による疲弊、精神疾患に関する取材記事
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200302/k10012309701000.html
一見関係なさそうな2つの記事ですが、根っこは同じと思っていて、
「サービスの受け手側の過剰(理不尽)な要求と、サービス提供者側の責任感と疲労の限界」
の構図があると考えます。
1つ目の記事はそのまんまですが、2つ目の記事で注目したのは「(官僚の意識として)社会のために犠牲を払う覚悟がある」という箇所でした。
これは
「国民の税金からお給料をもらっているのだから、人一倍頑張らなければ…」
という官僚側の責任感と、
「俺たち/私たちの税金の無駄遣いは許さない」
という納税者の要求という構図になっています。
こういった構図に対して、『モンスターなにがし』とか『カスハラ』と言ってプンプン怒るのも1つのスタンスですが、愚問自答家を長くやっていると怒ること自体よりも「なぜこの構図に違和感を抱くのか?」が先に頭に浮かぶのです。
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前置きが長くなりましたが、僕が『お客さまは神様』論に対して何かコレおかしいなぁと感じた思考回路は以下のとおりです。
1.経済は循環している
2.『お客さま』も循環している
【1.経済は循環している】
誰が言い始めたか知りませんが、『金は天下の回りもの』とはよく言ったものです。
特にB to Bのビジネスを営んでいるとホントにお金って回っているんだなぁと思います。
製造業のピラミッド構造を思い浮かべると分かりやすいのですが、
完成品メーカー→一次部品メーカー→二次部品メーカー→三次メーカー…という流れで発注が続き、各階層で必要な費用を受け取ります。
これは建設でもシステムでも食品でも同じで、ほとんど全ての会社がこのピラミッド構造のどこかにいます。
で、頂点の会社も完成品を買ってもらってお金を得ているわけです。
完成品を買うのは一般市民の場合もあれば、政府の事業だったりします。
この政府のお金というのは気が付きにくいだけで、かなり世の中の経済を支えています。
僕はケインズ経済派ではないですが、公共投資は景気刺激策として現代でも有効と思います。
公共投資と聞くと二次産業中心のように聞こえるかもしれませんが、補助金やマッチング事業も入れれば有名スタートアップも参加しており、現代的と思います。
普段、自分の目先の仕事にばかり意識が行きがちですが、お金の出所はグルグルと回っているのだなぁと改めて思いました。
【2.『お客さま』も循環している】
お金の流れを意識した上で『お客さま』について考えてみます。
一般的に『お客さま』というと、『仕事の役務提供先』となるかと思います。
そして、役務提供先からの依頼に対してその通り仕事を納めることで『売上』が発生し、売上があるから自分に給料が支払われる…という構図になっています。
その意味では、「お客さまあってこその仕事」という感覚はあながち間違いではないです。
ただし先ほどのお金の出所を考えると、「それって元々は誰のお金?」となり、結局グルグル回るのですね。
昔、コンサルタントだった頃、一方向的なお金の流れから意識を断ち切りたくて、「クライアントの商品を買う」ということをしていました。
(敢えて言う話でもないかな…と思い、クライアントには伝えませんが)
そうすることで「経済の流れの中でのクライアントの事業」を意識でき、更にはその事業を良くしたいという貢献意識も高まりました。
要は、自分が直接的に接する相手だけを意識して「あの人はお客さま」「俺/私は客だ」というのは、思考の幅も狭まるし、結果的に自分もあまり良い気分にならないよ、と思います。
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『お客さまは神様』論に違和感を覚えるのは「お客さまって誰?」という素朴な疑問に解を得にくいことに尽きます。
役務提供者に敬意を払うのは大事だと思いますが、それだったら役務提供者以外も含めて、みんなに敬意を払った方が良いですよね。
少なくとも特定の立場にいる人を精神的に追い詰めるのは、いかがなものかなと思いました。
結論:
お客さまは神様ではない。
なぜなら、グルッと回って自分が自分のお客さまになるから。