日々是、徒然に愚問自答

生来の小心者なのか、単に暇なのか、、、、日々悶々と悩みや疑問が浮かびます。しかしながらその大半は取るに足らないことで、人様の貴重なお知恵と時間を拝借するのもはばかれます。そのため、自ら産んだ愚問には自ら答えて始末をつけようという試みです。通勤電車等でご賞味くださいませ。

愚問自答「求人票は明確な方が良いのか?」

約8年前、現職に移る際に登録した転職サービスの求人紹介メールが今でも手元に届きます。

僕は元人事屋さんとして結構丁寧に読み耽るため、もはやアマチュア求人票評論家の域に達せられると自負しますが、その中で浮かんだ疑問を記します。

 

題して「求人票は明確な方が良いのか?」です。

※本稿の「求人」は中途採用を想定しています

 

この愚問自答シリーズでは幾度も書いていますが、一般論として日本企業はポジションの職務(大まかに言えば役職別の業務内容)が曖昧で、外資企業は明確という傾向があります。(ちなみにベンチャーベンチャー気質の会社は日本企業でも明確な傾向)

同じことは上記の求人紹介メールでも言えて、求人内容における要件や給与水準も、日本企業は曖昧、外資企業は明確です(ただしヘッドハンティング案件だと日本企業もそれなりに明確)。

 

「曖昧」「明確」という言葉を使うと、何となく「明確な方が良さそう」という印象を受けますが、果たしてそうなのでしょうか?

 

以下、「採用者(企業)」「求職者(個人)」のそれぞれの立場から考えてみましょう。

 

1.採用者(企業)サイド

 

採用者からすると、「欲しい人材を低コストで採用できる」ことが採用活動のポイントとなります。

これをシンプルに「応募者数×マッチ具合」と分解して、曖昧/明確を比較してみます。

 

曖昧な求人票は曖昧ゆえに門戸が開かれる、多くの応募が得られます。実は裏では経験社数等の目安を設けている場合もありますが、「とりあえず会って人を見てみよう」と考えることが多く、応募できないことは少ない傾向にあります。

一方でマッチ具合でいうと、「人を見てみよう」という言葉にある通り、ケースバイケースで合否を決めるところもあるため、見定めの点ではかなり労力を割きます。また、最後は「人柄」「伸びしろ」という要素が意外と重要視されます。

要するに「たくさんの応募者を多面的に吟味してマッチする人材を採用する」という方式のため、おそらく欲しい人材は吟味できますがコストは高いです。

 

他方、明確な求人票の場合は、Requirementにより相当数が怖気付くor撥ねられるため母集団は洗練されます。

マッチ具合でいうと、事前フィルタリングがなされるため、面接の局面では曖昧な求人票よりデジタルに当てはまりやすいです。

一方で、この方式ではダークフォース=大穴的な採用ができないのも、「理屈では説明できないけど、キラリと光る何か」が拾えず、悩ましいところです。

要するに「事前にフィルタリングされた応募者を、真に大事な要素を確認して予定調和の中で採用する」という方式のため、低コストで採用活動を営めますが、大穴的な人材の獲得は難しいと思います(元より大穴は狙ってない、と言われればそれまで。ただ、ホントにそれでいいのかは甚だ疑問)。

 

2.求職者(個人)サイド

 

求職者の立場では、採用者よりいささか複雑になります。

というのも、求職者と採用者では時間軸と確率が異なるためです。

 

採用者は"採用活動"という営みにフォーカスすれば単年度の積み重ねであるため、上記のように「応募者数×マッチ具合」で割り切れます(マッチ具合は入社後の離職も勘案しますが、4年目以降の離職は採用起因でなくなることが多い)。また、仮に離職があっても0%は難しいでしょうから一定の%範囲であれば採用担当者としては"許容"されます。

一方、求職者本心からすれば、入社した会社では出来れば長く働きたいですし(超割り切れる猛者なら話は別ですが)、離職についても自分ごとで捉えると100%になります。

 

そのため、如何に「自分にとって有意義なキャリアになるか」という観点で考えると、求人票の曖昧/明確という文面以上の奥深さを検討せざるを得ません(そんなことまでクドクド考えるのは僕くらいしかいないのかもしれませんが…)。

 

話がちょっと抽象的になったので、僕をケースに考えてみます。

僕の場合、色々あって事業戦略×技術戦略×組織・人事戦略の掛け合わせこそが我がアイデンティティとしているのですが、こんな人間を明確な求人票で表せるかというと、まぁー少ない少ない…。

然程、希少とは思わないのですが、求人票で明記しているようなポジションはほぼ天文学的に少ないです。

その意味では、(試してみないとわかりませんが)明確な求人票を出している大体の会社では書類選考で落ちるでしょう(だって求めてないから)。

では、曖昧な求人票を出している会社ではどうか?これも怪しいところで、懐深い会社が何かの間違いで僕にポテンシャルを見出していただいたとしても、そのポテンシャルはいつ花開くのかが問題になります。会社は長い目で見守ってくれたとしても、僕自身が居心地悪いです。

 

このように考えると、求人票1つとってもなかなか複雑なもので、おそらく採用については永久に唯一解はなさそうだな、と、身もふたもないことを思案したりしています。

 

結論:

求人票の曖昧/明確で言い表わせるほど採用は単純ではない!