日々是、徒然に愚問自答

生来の小心者なのか、単に暇なのか、、、、日々悶々と悩みや疑問が浮かびます。しかしながらその大半は取るに足らないことで、人様の貴重なお知恵と時間を拝借するのもはばかれます。そのため、自ら産んだ愚問には自ら答えて始末をつけようという試みです。通勤電車等でご賞味くださいませ。

愚問自答「"考え"と"信念"の違いは?」

30代中盤ながらに思うのが、日本のビジネス界は裏表があるなぁということです。

 

職業柄、社内外のいわゆる"意識高い人"と会い、話をしたり一緒に働くことが多々ありますが、

「これ、どこまで本気の話なんだろ?」

と疑問に思うこともしばしばです。

 

個人の熱い想いや考えを聴くのも、それはそれで心が打たれて良いことですが、組織的に取り組むにはハードルが高いし、実際に途中で挫ける…ということは大小様々な場面で見る話です。

 

そこで、今回の愚問自答では「"考え"と"信念"の違いは?」というテーマを扱ってみます。

一般論として読んでいただいても良いですし、採用面接やキャリア面談等に

参考いただければ幸いです。

 

1.客観と主観

2.批判への反応

3.実現度

 

の3点で考えてみます。

 

1.客観と主観

 

僕的には"考え"は客観、"信念"は主観と捉えています。

統計や史実、意見等、世の中にある情報を整理し、

「こういう傾向があり、ここに問題があるから、こうすべき」

と示すのは"考え"。

個人的な体験や社会的背景をもとに、例えそれがマニアックなことだったり、反対方向の"考え"が有っても

「いや、これが大事なんだ」

と主張するのが"信念"。

 

両者は相反するものでもなく、お互いを行ったり来たりするものと思います。

 

側から聞いて「なるほど、この人を応援したいな」と思うのは、"考え"に裏打ちされた上で

「偏りは百も承知だけど、自分はこれをすべきと思う!」

という"信念"まで昇華されたものです。

 

翻せば、"信念なき考え"は、

「お前は評論家かっ!」

という話ですし、"考えなき信念"は、

「お前はガキかっ!」

という話ですね。

 

2.批判への反応

 

悩ましいことに意見の表明に対して切っても切れないのが批判というものです。

この批判に対してどう反応するかで、"考え"と"信念"の違いがあると思いました。

 

"考え"の場合、自分の想いとは別の客観的な意見であるため、批判に対して冷静に応じられると思います。

要は批判されるのは自分という人格ではないので

「確かにそういう見方もあるでしょうな」

と、むしろサンプルが1つ増えてラッキーな感じでしょうか。

 

一方で"信念"の場合、批判に対しては基本怒りモードと思います。

主観的なものを批判されるのは、論理的には納得できても情理では許しがたいでしょう。

これも善し悪しがあり、"考え"的過ぎると

「悔しくないのか…?本気でない?」

と思われる可能性があり、

反対に"信念"的過ぎると

「冷静になろうよ」

と思われる可能性があります。

 

 

3.実現度

 

これまで"考え"と"信念"でお互いのメリット/デメリットを書きましたが、実現度に関しては"信念"に分があると思います。

というのは、長らく周囲を見てると、

「信念レベルまで思い込まないと行動に移せず、行動しないと実現はしないなぁ」

と思えるようなことが多いからです。

(もちろん、行動しても失敗することは多々ありますが)

 

一昔前は自分の"考え"を披露し、世の中が後追いすることで実現させることも可能でした。

最近は社会の課題の方が単純化したため※、行動しちゃった方が解決の近道だったりします。

※こう書くと、「イヤ、世の中は複雑化してる」と言われそうですが、個人的には「単純な課題がやたら沢山ある」というのが正解な表現かと思います。

 

結論:

とはいえ、「考えるよりも行動!」というのと失敗の臭いがプンプンするので、ナイスミドル的には…

「考えた上で信念を持って行動する」

「信念に昇華するまで考え抜く」

くらいがピッタリかと思いました。