愚問自答「多様性自体が多様化していないか?」
揚げ足をとっているわけではないのですが、僕は「◯◯の◯◯」について考えることが好きで、例えば、
「◯◯の品格」という本が流行ったときには「品格がインフレし過ぎで、"品格"という言葉の品格が疑われるな」と思ったり、
「◯◯の取説」が流行ったときも、「取説の取説が必要だわい」と思ったり。
愚問自答でも「そもそも論」についてそもそも考えてみたり。
といった感じです。
そんな調子で世の中を見るに、最近大変気になっているのが、「多様性」という言葉の指すものが多様化していてよくわからん、ということです。
というわけで今回は多様性の多様化について愚問自答していきましょう。
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数ヶ月前、会議で「人材の多様性」について意見が交わされており、最初はふむふむと聞いていたのですが、途中からよくわからなくなったので恐る恐る手をあげ、
「あのー、皆さんのおっしゃってる"多様性"って何を指してます?」
と質問したところ、どうにも微妙な空気になったため、口をつぐんだことがあります。
実際どうかはわかりませんが、何人かは多分怒っていた気もします。
(一重に聞き方と、聞いたタイミングの悪さもあるので、僕の問題と思っています)
しかし、未だによくわからない。
世の中、同じ人間なんて一人もいないし、「十人十色」という言葉があるとおり、違った人間が集まればそれだけで多様な気がします。
それだけ言うとそれこそ揚げ足取りのように思われるので、識者に合わせて、この多様性論についての大まかな方向をまとめるならば、
・一部の属性の人が他を排除することは排除される人にとっても組織にとってもマイナスなので属性的な偏りをなくす
・考え方、文化、スキルが多様な人が集まった方が枠にとらわれない発想が生まれるので色々な人を集める
という話かと思います。
このこと自体には大賛成です。
僕はもともとモノカルチャーな考えが非常に窮屈だなぁと思って今まで生きてきたので、色々な人がいた方が毎日刺激的で良いじゃんと思います。
そう思い、多様性について話すときは「いっそこの観点でも多様化はできんか?」と思うわけです。
例えば、就業意識の多様性。
今や「一つの会社で定年まで...」と考える人は若い世代を中心にそう多くは無くなってきていると思います。
そうすると、あるプロジェクトを進める際に、
・いずれこの会社の社長になろうと野心的なAさん
・会社に長くはいたいけど、大変な想いはしたくないBさん
・このプロジェクトで成果を出して他社にいこうと思うCさん
・外部から請負(Independent Contructor)で入ってる元同僚のDさん
がテーブルを囲うこともあるはず。
これは外形的には雇用形態に違いがありますし、プロジェクトですとジョブ・ロールにも違いがあります。
内面的には、キャリア志向に違いがあるとも言えれば、モチベーションドライバーにも違いがあると言えます。
個人的に考える多様性の難しさは、外形的なものだけでないことにおける多様性が海面下の氷山のように山ほどあることです。
そして多様性の対象となる複数のもの(外形的属性、内面的志向性)のいずれにも軽重がつけがたく、正直何をどうすれば幸せかというのは周りも本人もよくわからんのではないでしょうか。
さらに話をややこしく言うならば、外形的属性や内面的志向性は同じ人間でも、ライフイベントや加齢によりかなり変える可能性があります。
(僕自身、20代と30代で相当考え方が変わったりしています)
そう考えてみると、多様性を進めるのはもちろん大事ですが、コレというものは定めづらいため、他者と関わって生きていく我々としては他者への受容性を高めることが色んなことへの一歩かと思いました。
(その意味では僕はモノカルチャーな考え方は好きではないですが、それも多様な考え方の一つとして受容する必要があるのかも)
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正直、多様性について自答するのはとても気を遣います。
「多様性についての考え方の多様性」がさらに広がると良いですね。
結論:
多様性はやっぱり多様。
人間色々いるから面白い、と思える受容性が大切。