日々是、徒然に愚問自答

生来の小心者なのか、単に暇なのか、、、、日々悶々と悩みや疑問が浮かびます。しかしながらその大半は取るに足らないことで、人様の貴重なお知恵と時間を拝借するのもはばかれます。そのため、自ら産んだ愚問には自ら答えて始末をつけようという試みです。通勤電車等でご賞味くださいませ。

愚問自答「いつ"大人"になるのか?」

久々の投稿です。

愚問がなかったわけではないですが、どれから自答しようと逡巡していたらスッカリ更新していませんでした。。

 

というわけで久々の愚問です。

 

「自分もナイスミドルな年齢になったなぁ」

と思いつつ、

「歳は食ったが中身は小学3年生くらいのときからあんまり変わっとらんね」

とも思いました。

 

僕的には

「身体は大人、頭脳は子ども→逆コナン!」

という感じなのですが、ふと

「"大人"になるって何だろう?」

と愚問が浮かんだため、悶々と考えてみます。

 

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"大人"の定義も様々と思いますが、一旦

「他者への受容性が高い状態」

としておきます。

(いわゆる"大人な振る舞い"といふものですね)

 

今回の愚問自答では

1.絶対的な大人性

2.相対的な大人性

について考えてみました。

 

【1.絶対的な大人性】

昔は加齢とともに気持ちの余裕ができ、受容性が高まると思っていました。

よく「あいつは大人じゃない」みたいな言葉も聞くため、おそらく世間一般的に言う"大人の尺度"があり、それを満たしているか否かが"大人"の境界である、と。("大人気ない"という言葉もあるくらいですからね)

 

確かに加齢とともに経験が蓄積すると、先々を予見できるようになり、余裕が生じるため、絶対的な大人性というものもあると思いました。

 

【2.相対的な大人性】

最近考えているのは「自分が大人か否かは他者との相対的な関係性も要素としてあるのではないか?」と思いました。

顕著に現れるのは転職などで新しい環境に身を置いたときです。

人間関係が一度リセットすると、

「周りの人はどんなキャラで、どういった癖や好みがあるのか?」

ということをゼロベースで把握する必要があります。

 

例えるならば、

「僕的には良かれと思ったことが、実は相手にとっては不快」

ということも往々にしてあるわけで、これはケースバイケースなので相対的…と思うわけです。

 

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こんなことを思った背景としては、最近仕事環境が変わりまして、

「年齢やポジション的に"大人"として振る舞いたいな」

と思いながらも一方で

「なんか変に大人ぶるのもスカした感じがしてイヤだな。時間かけて馴染めばイイじゃん」

とも考え、

「"大人"って相対的なもの?」

とひらめいたことがあります。

 

かたや一方で、経験の蓄積による余裕さというのも確かに存在すると思うため、結局のところ"大人"というのは絶対/相対のハイブリッドな気もしました。

 

結論:"大人"は絶対的な尺度だけではない!