日々是、徒然に愚問自答

生来の小心者なのか、単に暇なのか、、、、日々悶々と悩みや疑問が浮かびます。しかしながらその大半は取るに足らないことで、人様の貴重なお知恵と時間を拝借するのもはばかれます。そのため、自ら産んだ愚問には自ら答えて始末をつけようという試みです。通勤電車等でご賞味くださいませ。

愚問自答「長い話はお好き?」

ドラマ「俺の話は長い」はタイトルが実に秀逸!と思いました。

 

一般的かどうかは知りませんが、ビジネスの世界では「1分で話せ」と言うくらい、端的な説明をして当然みたいな空気感があります。

 

ですが、しかし、…しかしですよ。

僕の最近の好みで言うと、端的な話よりは長い話の方を好みます。

 

そんなわけで、今回の愚問自答は「長い話はお好き?」というテーマとし、なんで僕が長い話を好きになったかを、これまた長〜く語ります。

 

------------

 

前提として、長い話の好き嫌いについて「聴く側」の立場で検討します。

というのも、世の中的には「相手への伝わりやすさを考慮し、短く話のが常識」という「話す側」の立場への心構えはテクニック化されていますが、話を「聴く側」の心構えはあまり注目されていないためです。

 

以下の観点で考えてみます。

1.なぜ端的な話が好きでないか?

2.なぜ長い話が好きか?

 

【1.なぜ端的な話が好きでないか?】

 

コンサルティングの世界に入った若かりし頃、かなり初期に教わったのが「エレベータープレゼンテーション」というやつです。

「エグゼクティブは忙しいから1分くらいで要点を伝えよ」

というものですね。

当時は「ナルホド確かに」と思っていました。

近年ではエレベータープレゼンテーションはコンサルだけでなく一般的にも教わり、これまた世間的にも「フムフムナルホド確かに」と思われている節があります。

で、実際、1分くらいのプレゼンを聴くことも多々あるのですが、どうも話を聴いてもサッパリ頭に入らないのですね。

これは話す側の技量も多分にありますが、「短く話す」と「端折る」は全然違うわけです。

仮に少々雑に端折ったとしても成立するのは背景知識や問題意識が共有されているときであり、実際問題そんな状況は少ないような気もします。

 

また、論理的に整理されており、無駄なく、コアエッセンスが詰まった話を聴けることもありますが、その場合も「情理」の部分は読み取れません。

 

端的な話が成立するシチュエーションとは何かというと、話す側の論理レベルと聴く側の論理レベルが合っているときと思います。

その場合、聴く側からすれば、

「確かに分かりやすい説明だけど、そんなことは分かっている」

という感じで、あまり聴いていて面白味がないのですね。

 

むしろ「ホントにそれで納得しているか?」とか、「違う案も検討したと思うけど悩まなかった?」という点を聴きたいわけです。

 

ということで、僕としては論理的な整理なら自分で事前にある程度準備してかは聴く場に臨むため、「経緯のない結論」は楽しくないなーという感じです。

 

 

【2.なぜ長い話が好きか?】

 

僕も話が長い方ですが、他の人の長い話を聴くのも好きです。

昔はあまり意識していませんでしたが、32歳くらいから

「あ、自分は長い話聴くの好きかも」

と自覚するようになりました。

 

僕が人の話を聴くとき、注目するのは

 

「この人(話す側)はどういう人なのだろう?」

 

の一点です。

 

上述の通り、内容については事前にある程度の仮説を自分なりに整理してから聴く場に臨むため、正直そこまで注意を払っていません。◯か×かのチェックをするくらいです。

むしろ「この人はどのくらいの期間をかけて、どういうアプローチで調べて、どこに悩んで、この結論に至ったか」を丁寧に話してもらうと大変面白いです。

 

例えば、「なぜ自分は今この仕事をしているか?」について話を聴くと、人生の歩み方や価値観、原体験などはストーリーとして楽しいですね。

これは就活生へのアドバイスや採用面接はもちろん、僕は普段の会話でも聴く質問です。

なぜこの人と僕がこの瞬間に対峙しているのか?

ということに想いを馳せると、味気ない会議に一輪の花が添えられた気分になります。実に味わい深い…!

 

例えば、2時間くらい1対1で相手の話を聴いていると、脱線したり蛇足したり…と、まぁ〜話が長い長い。

でも脱線や蛇足は、話す側の思考回路や興味関心を知る上で宝の山なのですよ。

 

また、「今はホントに関係ないけど、いつか役立つ可能性のある話」が聴けたりしてお得です。

 

こういうのは偶然の出会いに近いため、むしろ話す側は整理なんぞ丁寧にやらず、思ったことを言えばいいのです。

 

もちろん、同じことを何度も何度も話す人もいます。

「この話、重複を削げば3分で話せるぞ…」

という内容を30分くらい膨らませる方々もいますが、それはそれで話す側の情報量を正確に把握でき、その後のやり取りの上で有効です。

これ、勢いで端的な説明をされると聴く側としては真贋が判断しづらいんですよね。

僕的には「長く話せるのも1つの能力」と思っていまして、1つのテーマで2時間話し通せるくらいが話す側の専門性の尺度と思っています。

 

------------

 

そんなわけで、世間のテクニック論に反旗を翻し、僕は長い話をするのも、されるのも好きです。

 

あと、長い話が嫌いな方の談として

「ツマラん話は苦痛」

というものがありますが、ツマラないのは話の中身であり、話している本人がツマラないわけではない…と思うと心持ちは変わると思いました。

 

結論:

長い話がしたい人は僕と話しましょう。

僕の話も長いです笑