日々是、徒然に愚問自答

生来の小心者なのか、単に暇なのか、、、、日々悶々と悩みや疑問が浮かびます。しかしながらその大半は取るに足らないことで、人様の貴重なお知恵と時間を拝借するのもはばかれます。そのため、自ら産んだ愚問には自ら答えて始末をつけようという試みです。通勤電車等でご賞味くださいませ。

愚問自答「仕事に意味は必要か?」

ひと月ほど前に、プライベートで「ミッション・ビジョン・バリュー」(長いので以降MVVとします…)に関するセミナーを聴講してきました。

実際、前向きなタイプの仕事をしているとMVVが推進力になることもあるため、セミナーはとても参考になりました。

一方で、個人においてMVV≒「仕事の意味」は必要かしら?とも思いました。

 

実際、仕事の意味ややりがいについて世の中の意見としては…

・「仕事は想いが一番大事!てか、"仕事"じゃなくて"志事"だろ!」派

・「やりがいとか要らないから残業代ください」派

・「意味というよりは感覚的に好きなことを仕事にしてるから、ワークとライフは一緒」派

などなど、様々です。

 

「働く動機なんてのは人それぞれで、いちいち物申すのも野暮!」

と思いますが、せっかくMVVについて学ぶ機会を得たため「仕事に意味は必要か?」を愚問自答してみます。

 

------------------------

 

「仕事の意味」に関して有名な寓話は『煉瓦積み』の話ですね。もうかれこれ30回くらい聴いています。

たまに「今日こそは煉瓦積みの話と見せかけて違うオチかな…?」と期待するのですが、一度もその期待が叶ったことはありません…。

単に聞き飽きたということもありますが、実は僕としてはこの煉瓦積みのエピソードがあまり好きではないです。

 

この話、仕事の意味を自己の解釈に頼り過ぎていると思います。

「わたしゃ煉瓦を積んでるのさ」という最初の回答者でも黙々と正確にやっていれば、結果的に大聖堂が出来て参拝者の心を打つことはできます。

何とな〜く世の中的には「目をキラキラさせる最後の回答者の心意気を持とう!」という風潮がありますが、ホントにそうか?

 

観点として以下2つで考えてみます。

 

1.意味がないと仕事はできないか?

2.意味があると良い成果が出るか?

 

【1.意味がないと仕事はできないか?】

 

ナイスミドルな僕としては、過去には、

「超絶めんどくさいし、一つもワクワクも面白味もないけど、ラストマンとして連日徹夜してでも最後までやり抜く」

という経験もあります。

このとき、自分を支えていたのは決して「仕事の意味」とかではなく、

「誰かやらないと終わらないじゃん。んで、立場的に僕やるしかないじゃん」

というものでした。

こう書くと投げやりのように聞こえそうですが、やるからにはベストエフォートを尽くし、お客さんからも好評をいただきました。(5回くらい徹夜しました)

 

この経験を通じて思ったのは、

「仕事の意味はなくても(自覚しなくても)、仕事自体は出来る」

ということでした。

 

 

【2.意味があると良い成果が出るか?】

 

意味と成果は直接的には関係ないと思いますが、強いて言えば「手を抜きにくい」という作用は働くと思います。

 

個人的にはスキルの高低よりもベストエフォートを尽くす方が好きですね。

(ベストエフォートというのは、「寝ないでやります!」という危険なアレではないです、念のため)

 

恐らく一般的には、意味をもって仕事をしている人の方がベストエフォートを尽くしそうです。

ただ、努力の方向を間違える可能性もあり、実は淡々黙々と取り組む方が良い場面もあります。

 

そう考えると、仕事に意味を見出さず、義務として捉えている場合でも十分に成果につながると思います。

 

------------------------

 

やりがいを持って活き活き仕事をしている人は輝かしいです。

自分の仕事が世の中を良くすると信じて打ち込む人は眩しいです。

 

でも、そんな人ばかりとは限りません。

「嫌だなぁ」と思いながら今日もため息をついて義務として働く人もいます。

そんな人の仕事ぶりは劣っていると誰が言えるのでしょうか?

 

結論:

意味は不要ではないけど、必要でもない。