愚問自答「心は何のためにあるのか?」
12月は一年間の振り返りとして、「内省と肯定」をテーマに読書をしています。
いかんせん恥の多い人生を送ってきたため反省することが多過ぎるのですが、それよりもっと奥深いところに思索が巡りました。
僕に限らず多くの人はいつも何かに悩み、迷っていると思います。
「どうすれば穏やかなる日々を送れるのか?」
「いつか悩みや不安がない日はくるのか?」
僕は20年以上このことばかり考え続けています。
中高生の頃は「受験が終われば平穏になる」と思っていました。
大学生の時は「就職すれば自分が何者か分かる」と思っていました。
20代の頃は「上の役職につけば穏やかな日々を過ごせる」と思っていました。
ナイスミドルな今時分では、「仕事をリタイヤしても何かしら死ぬまで悩むのだろうな」と思いつつ、「"悩みゼロ"は難しいまでもなるべく気持ちを和らげよう」と考えています。
実際、本でも「穏やかな心の手に入れ方」に関するものは多く、どれもタメになります。
一方で、「心は何のためにあるのか?」とも思いました。
今回は少し堅いテーマで愚問自答してみます。
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この哲学的愚問について、以下のように考えました。
1.心は厄介?
2.心は味方?
【1.心は厄介?】
プライベートでも仕事でも、何だか上手くいかないなぁと思うとき、対人関係にモヤモヤを抱えている場合が多いです。
『気が合わない』というだけで、話すことはおろか、会うことすら憂鬱ということもあるでしょう。
日常生活を、
行動 × 情動
とすると、行動には問題がなくても情動で何かしら問題を抱えることがあります。
仕事で言えば、「スキル面では大丈夫だけど、人間関係で悩む」という状態です。
また、人間関係でなくても純粋にやることが多くても心がザワつくことも多々あります。
「仕事が気になって眠れないときはタスクを紙に書き出すと心の整理ができて安心する」
という方法がありますが、これも情動の問題が行動に影響しているとも言えます。
仕事が出来るようになると二手三手先を考え、悩みが尽きなくなります。
そう考えると、世に言うマインドフルネスのベースが
「いまこの瞬間に気持ちを向ける」
というのは大変合理的ですね。
ただ、これは翻すと
「『いま、この瞬間』に定めないと、心は過去や未来の不安に移ろいやすい」
ということでもあり、
「心とはつくづく厄介なものだな」
と僕は思ってしまいます。
【2.心は味方?】
では心が全く動かない状態、「いっそ心なんてなくなれば良い」と思うか?
たまにそんなふうに考えるときもありますが、やっぱりそうでもないかなと思います。
朝、駅までの道で鳥のさえずりに爽やかさを感じたり、
昼間、都会のビル群を歩きながらふと視線を上げ、空の青さに開放感を覚えたり、
夜、家族、同僚、友人と話して、気持ちが暖かくなったり…
特に何かを得たわけではないけれど、心に光が差すこともあります。
そんなとき「人生はそう悪くもない」と思ったりします。
また、仕事においてスキルが足りなくても「あと一歩頑張ろう」という勇気が背中を押すこともあります。
そうしたとき、仕事が終わったあとの達成感は格別です。
何か大きな決断(進学、就職、転職、結婚など)をする際、往々にして最後は決めの問題で、そういうときの決め手は『心』であることも多いです。
そう考えると、「心があるから経験出来ること」もたくさんあります。
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結局、心は厄介だけど味方でもあるのでしょうね。
不思議なことに自分の心を自分でコントロールすることが難しく、「自分って何なんだろう」と思い悩み、ときには厭世的になることもあります。
ナイスミドルである僕は
「世界からビジネスパーソンの悩みを失くす」
ということが夢なのだろう、と最近思いました。
愚問自答もその一環なのかな、と70本以上書いて初めて気がつきました。
結論:
心は厄介だけど味方でもあり、人生に彩を添えるもの