日々是、徒然に愚問自答

生来の小心者なのか、単に暇なのか、、、、日々悶々と悩みや疑問が浮かびます。しかしながらその大半は取るに足らないことで、人様の貴重なお知恵と時間を拝借するのもはばかれます。そのため、自ら産んだ愚問には自ら答えて始末をつけようという試みです。通勤電車等でご賞味くださいませ。

愚問小説「天職にいちばん近い島①マナブとケイコ」

「休み明けにケイコちゃんのところに行ってきなさい。あんたのために相談に乗ってくれるって言ってくれてるんだから」

 

という一方的な連絡を母から電話で受けたのは、5月の大型連休も折り返しにきた祝日。僕が新卒から2年勤めた会社を精神的な不調を理由に休職し始めて、1か月が経った頃のことだ。

3ヶ月間の休職を要する、というクリニックの診断書を会社に提出したのが3月下旬。休職前後は全身を倦怠感が覆い、朝起きることもままならなかったが、最近では時おりするめまいと動悸を除けばかなり回復したと思う。休職前は電車に乗ることが苦しかったけど、いまでは電車で3駅ほどあるクリニックへ毎週通えている。

体の調子が戻り、自分の置かれている状況を冷静に考えると不安に襲われる。医師からは仕事のことは考えずにまずは休息を...と言われているものの、現実問題としてあと2か月経てば復職に迫られるわけで、単純に言えば『戻りますか、辞めますか』といった選択をそろそろ考え始めなくてはいけない気がしてならない。

そんなことを実家の母についうっかり話してしまった結果、回り回ってさっきの電話につながったというわけだ。

大学進学で上京してからというもの、めったに連絡をとっていなかったし、今回の休職についても心配をかけたくなかったから黙っているつもりであったが、やはり精神的に弱っていると身近な存在に頼りたくなるのか、気がついたら実家に電話していた。

「マナブ(←というのは僕の名前)も大変だったのね」

と親身になって聞いてもらって、心がずいぶんと軽くなったのも束の間、母から困ったときの伝家の宝刀『ケイコちゃんに相談してみなさい』を抜かれたのである。

 

『ケイコちゃん』というのは実家の2つ隣に住んでいた4歳上のケイコさんのことだ。親同士の仲が良かったことや僕が一人っ子だったこともあり、ケイコさんは僕にとって実の姉のような存在である。

そして『ケイコちゃんに相談してみなさい』というのは母の口癖で、例えば中学校の部活選び、先生とのつきあい方、近隣の高校の様子など、ことあるごとにケイコさんの経験を聞いて参考にしていた。

ケイコさんと直接会うのは、僕が高校1年生、ケイコさんが大学2年生のとき、東京から実家に帰省していたケイコさんに大学生活や受験について聞いたとき以来だ。その後、僕も東京の大学に進学した(ケイコさんが洗練されたK大に対し、僕はバンカラなW大)のだが、ちょうどそのタイミングでケイコさんが海外留学に発ったこともあり、結局10年近く顔を会わせていないことになる。

もちろん親同士はしょっちゅう話をしているわけで、母の(やたらと寄り道の多い、長~い)話をまとめると、ケイコさんは...

・K大卒業後、イギリスの大学で1年間開発経済学を勉強

・帰国後、外資系証券会社に新卒で就職し、3年間勤務

・現在は外資系人材紹介会社でキャリアコンサルタントとして勤務

ということらしい。

 

大学でたいして勉強もせず、就活も有名どころばかり受けて、運良く内定をもらえた会社に何の疑問や想いも抱かず入社し、挙げ句の果てに営業成績が芳しくなくてメンタル不調になった僕からすれば、ケイコさんはスゴすぎて全然アドバイスにならない気もする。

ただキャリアコンサルタントをしているということは、色々な社会人をみてきたということだろうし、あわよくば僕にも良い会社を紹介してもらえるのではないか?というヨコシマな想いも相まって、休み明けにケイコさんの元を訪ねることにした。

母親からケイコさんのチャットIDを聞き、連絡をとる。

日中は忙しいだろうし、何より僕はまだ正式に転職活動をすると決めたわけではないため転職候補者として会うわけにもいかず、ケイコさんの仕事が終わったあとに都心のカフェで会うことにした(僕は今お酒は厳禁)。

 

ケイコさんと会うのは、人との会話のリハビリや幼馴染みとの10年ぶりの近況報告くらいの感覚であったが、まさかこの再会が僕の人生を大きく変えることになるとは、このときの僕には知るよしもなかった。