日々是、徒然に愚問自答

生来の小心者なのか、単に暇なのか、、、、日々悶々と悩みや疑問が浮かびます。しかしながらその大半は取るに足らないことで、人様の貴重なお知恵と時間を拝借するのもはばかれます。そのため、自ら産んだ愚問には自ら答えて始末をつけようという試みです。通勤電車等でご賞味くださいませ。

愚問自答「やりたいことをやって生きるにはどうすればいいか?」

愚問自答では僕自身のモヤモヤをについて『きっと世間も同じように悩んでいるだろう』と勝手にすり替えて悶々と自答してきました。

そんなことを100回近くやっているうちに気付いたのですが、結局世の愚問の原因の80%くらいは『やりたいことができていない』に尽きるのではないかと思いました。

特に昨今のコロナ禍では「外出できない」「(お店・施設が)営業していない」という直接的なことに加え、「景気の先行きが見えない」「仕事のやり方が変わるのではないか」といった中長期的な要素も影響していそうです。

そこでこのタイミングだからこそ「やりたいことをやって生きるにはどうすればいいか?」という愚問について自答したいと思います。

 

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まず「やりたいことができていない」の構造について以下のように考えました。

 

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単純に考えれば6マスあるうち「やりたいことをやっている」のは左上1マスで、この「目標実現」マスが大きくなれば(マスの中に収まる活動が多ければ)幸せということになります。

それが難しい理由を考えていきます。

 

1.いきなり「やりたい」かつ「やっている」を出現させるのは困難

素直に考えれば「やりたいことを見つけて、やればいいじゃん」ということなのですが、これがなかなか難しいのです。
というのも『それができていれば最初から悩まない』からです。

ジョジョ第5部のプロシュート兄貴的に言えば
「頭の中に思い浮かべた時には!もうすでに終わっている」
という状態で、既に「目標実現」マスがビッシリ埋まっている人は「やりたいことをやって生きていきたい」と思うこともないでしょう。

そういうわけで「目標実現」マスは他のマスを経由して行くもの、と考えます。
その場合、最も近い「願望」マスと「惰性」マスから「目標実現」マスに移るのがよさそうな気がします(遠いと大変)。

 

2.願望→目標実現:制約の壁の高さばかりにとらわれず足元を見る

「やりたいことがある」というのは幸せなことです。
よって向かうべき場所が明確ならば、あとはそこに向かって進むべし!ということですね。

ただ、ここでも『できるなら既にやっているわい!』ということで、やっていないのには理由があります。

まず考えられるのは、お金がない、時間がない。
あとは、機会(チャンス、きっかけ)がない、人脈がない。
もう少し出すと、スキルがない、(親などの)許可がない、応援してくれない…

しかもそれらが「いつ解消されるか分からない」という場合もあり、厄介です。

とはいえ、もう一度言いますが「やりたいことがある」ということ自体が幸せなので、こういう場合は『叶える時期を仮決めして、壁を超える過程を楽しむ』という心持ちが良いと思います。

例えば、僕にはアメリカやオーストラリアの大自然を観ながらノンビリ暮らしたい」という願望がありますが、お金も暇も語学力もコネもありません

でも、僕は『55歳で移住する』と仮決めしているので(←これは大学生のときからブレていない)、以下のように壁を超える過程を描きました。

・お金:節約してコツコツ貯金(←少額ずつに実践)
・暇:55歳あたりで仕事をやめればいくらでもできる
・語学力:コツコツ勉強(←毎日10分ずつ実践)
・コネ:同じようなこと考えている人とネットや人伝えで知り合う(←これまだ動けてない)

おそらく「制約の壁」は『今すぐ解消したい!』という垂直跳びでは越えづらいので、『3/5/10年かけて越える!』という気持ちで時間を味方にして助走をつけた棒高跳びであれば越えられるのでしょう。
そしてその過程を楽しむことが大事と思います。ドラクエも途中の旅が楽しいのですからね。

 

3.惰性→目標実現:「やりたいこと」は友達が教えてくれる

おそらく「やりたいことができていない」と悩む人の多くはこの「惰性」マスにいて、「何かはやっているけどそれがやりたいことなのかが分かっていない」という状態と思います。
(僕も仕事やキャリアに関しては、この惰性マスにいることが多いです…)

ここでは自己理解の壁が立ち塞がり、モノの本を読むと、この壁の越え方として、自分に正直になる/意識のリミッターを外す/手帳に書く/宇宙と意識をつなげる…など紹介されます。

それはそれで自分に合うものを実践すれば良いと思いますが、僕のおススメは「友達と一緒に越える」です。
と言っても、自分のやりたいことに友達を誘って無理に付き合ってもらう、というわけではなく、友人に発信してみると良いということです。

例えば、僕はこれと言ってやりたいことがなく悩んでいた時期に「そう言えば文章を読むのは好きだから、いっそ読みたいものを書いてみるか」と思ってこのブログを書き始めました。
そして書いたブログを公開して友人と意見交換しているうちに「僕はキャリアにおけるストレスや悩みの解消に興味があるのだ」と気付き、今度はそのための活動として友人と交流したり、ポッドキャストを作ってみたり…と、「やりたいこと」が見え始めてきて、今に至ります
めざすは「日本からキャリアのストレス・悩みを失くす」で、これで儲けようとは思わないため(生活に必要なお金は会社勤務で得る)、今は賛同者を得るためにひたすら色んな媒体で拡散してみています(これ自体が楽しい)。

このように自己理解では、やっていることの価値を自分だけで判断するのでなく、それに興味を示したり賛同しれくれる友達がいて、価値が見えてくるのだと思います。

 

4.気が向かない:とりあえずスマホで何か始めてみる

「何となくやりたいことはありそうだけど明確でなくて、結局何もやってない」という人も多いと思います。僕も基本そうです。

そういう場合は、スマホで何か始めてみるのが良いと思います。
というのもこの現代において、「スマホでできないこと=それなりに手間のかかること」なので、それは億劫です。
むしろ手軽にできるし、手に持っている時間が圧倒的に長いスマホだからこそできることをしてみましょう。(PCだと開く必要があり、PCを開くには机やテーブルに置く必要があり、それには片付けが必要だったりして色々大変なのです。スマホは寝ながらもできるので最高です)

例えば、僕はこのブログはスマホで始めて、通勤時間で書いてました。(過去形なのは、愚問小説を境に図を入れるようにしたためPC/タブレットで書いている、ということです)また、最近始めたポッドキャスト配信も「anchor」というアプリ1つでできてしまいます。

別に何か発信することだけでなく、人とつながるのもスマホでOKです。
例えば、SNSでちょっと興味あることを書いている友人に「いいね」だけでなくコメントを書いてみましょう。100個の「いいね」よりも1つのコメントの方が嬉しかったりするものです。そしてコメントに返事がきて、距離が近づくとメッセージとかで意見交換しているうちに「あ、こういうことに興味あるかも…」というのが見つかったり、友人から「今度〇〇してみない?」と誘われるかもしれません。

スマホで手軽に1日2~3個くらい何かしていれば、それらの種まきから「願望」「惰性」が出てくるでしょう

 

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 生きる上で「やりたいこと」を見つけ、「やっていく」ことは非常に難しいです。
ということは、大半のことはそこに辿り着くまでの過程であるわけでして、その過程を楽しむことに人生の意味があるのかもしれません。

 

結論:
友達と交流して色々やってみる!

愚問自答「指導は厳しい方が良いのか?」

先日、若手から受けた相談で「父親の目線としてアドバイスをいただきたいのですが...」と言われ、時の重みをとみに感じたナイスミドルです。

 

さて最近5年ほどは、(会社またいで)自分の部署・チームの若手を育成・指導する役割を担っているのですが、どう接すれば良いかはいつも悩ましいものです。


「やっぱり厳しい方が人は伸びるのかしら?長い目で見れば本人のために厳しく指導した方が良いのだろうか…?」
と思いつつ、他方、
「あー、でも自分は優しく指導されてきたからなぁー。厳しく言われるのはイヤだし…」

と思考が右往左往する日々を送っています。

そういうわけで、今回は「指導は厳しい方が良いのか?ということを愚問自答してみます。

 

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まず、「優しい/厳しい」について僕の頭の中にあることを図で記します。

 

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①平和主義者:自分に対して負荷をかけない分、人にも優しい
②お節介:優しい自分を「甘い」と思い「あなたのためだから…」と人に厳しい
③ハードボイルド:自分にはストイックだけど他者には強要しない
④マッチョ:限界を突破した先の世界に誘おうとする

 

感覚値ですが、僕の周りはやたらハードボイルドとマッチョが多いんです。多分8割くらいが『縦軸、自分に厳しい系』です。
コンサル/シンクタンクは育成のされ方で自分に厳しくなる傾向にあるんでしょうね。

で、僕自身は①平和主義者と自称していますが、どうも周囲の話を聞くと仕事中は④マッチョらしく、自己評価と他者評価は違うものだなぁと思います。

では、指導という観点ではどう接するのが良いか、タイプ別に考えてみましょう。

なお、「仕事ができる/できないで印象が変わる」ものと思いますので、いったん全タイプで自分は「仕事ができる」という前提にしておきましょう。

 

 

 

①平和主義者 ⇒ 慕われるけど、時々ナメられる

自分にも他者にも優しい平和主義者。これで仕事も支障なく回っていたら最高ですね。
平和主義者は『自分の才能・能力の限度を知っている人』だと思います。
それゆえに自分自身がつぶれないように無理をせず、かつ他者にも同じようにつぶれないように無理をさせない...という理屈が働いているのでしょう。

このタイプ、一見すると「すげーいい人じゃん」という印象で、実際慕われることが多いです。仮に慕われる...とまでいかなくても「いい人だよね」と好評価だったりします。

ただ、基本的に力をセーブする/ 無理をしないため、『仕事ができる(また自分でそう思っている)若手』からはナメられる可能性があります

ただ、真の平和主義者は若手にナメられるくらいのことは気にしないため、やはりこの境地を目指したいな...と思います。

 

②お節介⇒基本的に嫌われるが幸せな人

自分に優しかったことを「甘かったな...」と悔やみ、他者には「あなたのことを思って敢えて厳しく...」と接するお節介タイプ。
かなり少数ですが、たまに見かけます。

このタイプ、根本的には良い人と思います。ただ、悲しいかな「お前には言われたくない」と嫌われてしまいます
一昔前の昼ドラのお受験シーンとかで出る『自分は受験しなかったけど小学生の子どもにはお受験を強要する親』を見て、じんわりと嫌悪感を抱きこそすれ、好意を抱くことは少ないと思います。

そういうわけで言動不一致さ加減からあまり誉められたものではないですが、このタイプ、自分自身はとても献身的で良いことをしているという自意識なので、ある意味幸せな人だなぁと思います。

 

③ハードボイルド⇒尊敬されるが距離も置かれる

このタイプは自分への厳しさを自覚しており、その辛さを知っているが故に他者には要求せず優しくする...ということで、なかなか渋いです。渋さゆえに結構尊敬されます。

若手の飲み会(昨今はそんなもんもなくなったのでしょうが)でも「○○さん、マジすごいわ。それでいて下には優しいからソンケーだわー」と影ながらリスペクトを受けることでしょう。

ただ、このタイプは一目も置かれるけど距離も置かれます。
つまりこのタイプが受ける尊敬は「自分は同じようにはなれない」の裏返しでもあり、あまり深く立ち入らないようにされるのです。
まさにハードボイルド!傷だらけのヒーローですね。

個人的な観察経験からいうと30代のハードボイルドは尖りすぎてて厳しいですが、40代になると年齢と渋味が調和して、『それはそれで愛嬌のあるキャラ』となれば距離も縮まると思います。

 

④マッチョ⇒マッチョはマッチョに惹かれる

スタンドつかいは...と同じですね。
コンサル時代に圧倒的に多かったのがこのマッチョタイプですね。むしろマッチョしかいなかったんじゃないか?
「マジ鬱だわー」と苦労を愚痴りながら最終的に何とかこなし、仕事を終えたときの爽快感で苦労をケロリと忘れる...。
または『成長』の二文字さえあればどんな苦労にも感謝できる...。
苦労に感謝できるようになれば、そんなアナタはマッチョです。 

マッチョの場合、マッチョ気質のある人同士であれば最強ですが、全然マッチョ気質のない人と組んだ場合、パワハラ認定リスクが活火山のごとく沸き上がるので要注意です。実際、僕が「おー、この人マッチョだなぁ」と思っていた人の3人に2人はパワハラで人事や上司に報告/相談されています。

 

ちなみにコンサル業界でマッチョが多いのは至極単純で、

・負荷がかかるだけの仕事量が恒常的にある
・「苦労したくてコンサルの道選んだんでしょ?」という雰囲気がナチュラルに存在

の2つの要因があり、これは多分ずっと変わらないでしょうね。

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そんなわけで、若手との接し方というのはなかなか難しいです。
ものの本では『相手に合わせる』という回答が書いていますが、必ずしも正解でない&相手も自分を理解していない、というところに難しさがあるので、まずは自分をよく知ろうと思ったわけです。

改めて横並びで見てみると、やっぱり平和主義者が良さそうだな...と思いました。
(↑単に自分に厳しくするのがイヤなだけ)

 

結論;

ナメられても気にしない平和主義者でいたい!

愚問自答「人生100年時代にどう働くか?」

最近のコロナ化では在宅勤務、テレワーク、それ以前には職務軸導入、高齢雇用、残業抑制など、働き方をめぐる変化は色々あり、おそらく日本全国『どうすればいいか分からん』という状態だと思います。

その中でも『人生100年時代』と『ジョブ型』の2つが頭の中でピーン!ときたので、今回は「人生100年時代にどう働くか?」という愚問へ自答したいと思います。

 

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1.いまの働き方で(僕は)人生100年時代はムリ

高齢化がズンズン進む日本人にとって相当バズッた「人生100年時代」に関して、原作・解説書・引用を読むと、人生を質的に充実させ、かつ経済的にも困らない上では『長い間働き続ける』ことが重要なようです。
確かに労働はヒマと金銭的不安を両方同時に解決できるので有効ですね。

長く働く方法は色々あり、定年まで勤めた会社で雇用延長したり、全く異なる仕事に派遣される、クラウドソーシングで知恵を提供する、顧問として登録・派遣される等、選択肢も広がってきたのだと思います。

最近読んだ記事では『80歳雇用』というものがありました。

ノジマ お知らせ「定年後、最長80歳まで雇用を延長」https://www.nojima.co.jp/news/category/info/56896/

 

ただ、30代半ばにして僕は素朴に思います。

今も決して楽ではないのに、あと40年以上も働くとかムリ。

僕自身、そこまでハードワークではないのですが、それでもこれを80歳まで続けるのはしんどい。精神的に疲れる前に体力的に無理ですね。

 

よ~く思い出してみると、僕が幼稚園児のとき祖父母は64~65歳でしたが、完全なる老後の生活モードに入っていました

「今の60-70代は若い!」とは言われますし、実際に身の回りで机を並べて働いている60-70代の方もいて「んー、確かに一概に年齢で区切れないものだけど…」と思いつつ、一般論はさておいて『僕は80歳まで働くのは多分無理。50代が限界』と思うわけです。

それなりのプレッシャーを受けつつ、成果を出すという働き方は、本当は今でもしたくないし、やるとしてもあと15年くらい(=50代前半)までとしたいです。。(スミマセン)

 

2.80歳まで働けるのは『仕事を趣味とする』か『趣味を仕事とする』か。

僕がなぜそこまで長く(80歳まで)働くのはムリと思うか分析すると、
『仕事を避けたがっている自分がいる』
に尽きると思います。

僕は決してやる気がないとかサボりたいということではないです。
やるからにはちゃんとやりたい、人に迷惑をかけたくないし、成果を出すためにベストエフォートを尽くしたい。それゆえに働くことはシンドイのです。

なので自分と仕事は一体化してなく、心の中で仕事というのは異物感がある状態です。
(これは15年近くの会社員生活ずーっとそうだった)

この状態を長く続けるのは心身ともに不健康そうなので、『仕事との距離感』を上手にとる必要があります。
距離感というのは単純に言えば『離れるか、くっつくか』ということです。

離れる ・・・仕事=趣味(の1つ)、とする。心の中における仕事のウェイトが小さいから生きるに必要な金額さえもらえればドーでもよくなる。
くっつく・・・趣味(生きがい)=仕事、とする。仕事での成果が自分を高みに上がらせることにつながるため、クエストモード的に苦労さえも楽しくて仕方なくなる。

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中途半端はよくない、ということですね。

正直、この2つのどちらかを選ぶかは好みで、収入・労働時間・仕事のできる/できないとあまり関係ないと思います。
とはいえ、仕事のできる(と思える)人が多い業種・企業(コンサルとか外資とか大企業とかメガベンチャーとかイケイケスタートアップとかきらりと光る中小企業とか…要はあらゆる企業で)は社内競争や目標・理念への推進パワーが激しいので有無を言わさず『趣味=仕事』となりがちですね…。

なお、この2つは考え方の多様化が進んでも根本的に相容れないため、同じ職場・チームで2つが完全に混ざり合うことはないでしょう。(役割を分けてチームを回すことはできます)

いずれにしても、80歳まで働くなら『ストレスのない距離を取る』ということですね。(人間関係と一緒ですなぁ)

余談ですが、いわゆる継続雇用で問題となる「燃え尽き」は「趣味(生きがい)=仕事」だった人がある日突然(定年退職月を境に)「仕事=趣味(の1つ)」に転換させられることによるものだと思います。これって会社側では個人の嗜好性までは見切れないから※、個々人がうまく気持ちを切り替えるしかないんですよね。
(※とはいえ、モーレツ世代は社会によって「趣味(生きがい)=仕事」と刷り込まれた世代でもあるので、あながち自己責任と切り捨てるのもかわいそうな話です)

 

3.人生100時代だからこそジョブ型

ここで大事なのが「ジョブ型」です。
「ジョブ型」って何?という方は下記のマーサーの記事をどうぞ。

『今さら聞けない「ジョブ型」雇用(その1)』
https://www.mercer.co.jp/our-thinking/bigpicture/age-of-disruption/column-21.html

どうもここ数カ月間「テレワーク」「ジョブ型」「成果主義」という本来異なるものをセットで論じられてしまったため、大いなる誤解が日本を渦巻いているような気がしますが、ジョブ型自体は「キャリア」「働き方」と相性が良いです。

要は「仕事=趣味(の1つ)な人用のジョブ」と「趣味(いきがい)=仕事な人用のジョブ」を用意して、本人に選択させればよいのです。

ここで、

「仕事=趣味(の1つ)な人用のジョブ」なんてあるか!うちは全員プレーなんだよ!

と思われた方は大いなる勘違いで、ジョブとは分解された機能なので、担う機能が異なるだけで全員プレーには変わりなしです。
とはいえ、こういった考えはメンバーシップ型が骨の髄までしみ込んだ日本企業には難しいでしょうけど。

思うに、60歳でいきなり「明日から仕事=趣味です!」とレールを切り替えるのでなく、40歳くらいからコース選択※させてくれれば(僕は個人的には40歳くらいまでは一応頑張ってみたい)、「それなら長く働ける」という人が増え、結果的に労働力総計では十分な量になるのではと思います。

※コースを選択制にすると「みんな仕事=趣味(の1つ)になったら経営が回らない!」という意見も出るでしょうが、経験上、勝手に各世代1.5~2割くらいの野心的な人が「趣味(生きがい)=仕事」になるので大丈夫と思います。

 

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そんなわけで、「80歳まで今の働き方かー」と思ったら暗くなりますが、「40歳で『仕事=趣味(の1つ)』にコースチェンジしよう!」と思うと気が楽になりました。
(とはいえ、40~80歳まで40年間も働くのは想像できないから50代で会社勤めは辞めたい…)

 

結論:

何事も自分との距離をうまくつかむのが大事

愚問自答「どうやって"行動"するか?」

実に一カ月ぶりの投稿です。
ここまで筆が止まった原因を分析するに、『外からの刺激がやたら減ったこと』があげられます。
(もちろんそれ以上に『筆不精』『継続が苦手』など僕個人の特性に依るものも大きいとは思いますが…)

 

自粛生活・在宅勤務に慣れたことで、五感を通じて入ってくる情報が相当固定化され、愚問を感じる隙が生じない!という状態に陥ったわけです。
また『コロナに関する云々は愚問でなく賢問になってしまうため原則、テーマに挙げない』という誰得な制約を設けたことで、ますます愚問が少なくなったこともあります。

 

自粛でやることがない休日の暇にあかせて、先日この愚問自答をポッドキャストしました。
(本稿執筆の7.26時点ではSpotifyで聴けます)

Anchor」というアプリを使えば無料で超簡単にポッドキャストの番組作成・公開ができ、「何事もやってみて学ぶことが多いなぁ」と思いました(アプリは以下からDL可)。

https://play.google.com/store/apps/details?id=fm.anchor.android&hl=ja

https://apps.apple.com/jp/app/anchor/id1056182234

 

僕自身は元来『考えてから行動したい、何なら考えた上で行動しなくてもそれはそれで仕方ない』という消極派です。
ビジネス書は多読する方ですが『行動力』系の本は意図的に避けていますし、自己分析系のアンケートでも『思考』と『行動』では『思考』側にマークします。

そんなわけで僕は『まず、行動してみる』ということに苦手意識がありましたが、ちょっとずつ『行動』というものをしながら思ったことを徒然に書いてみます。

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1.行動に伴うリスクは他者の巻き込み具合による

世の中にはあれこれ理屈や言葉が溢れていますがシンプルにまとめれば、
『行動しない理由』は『リスクをとりたくない』であり、
『行動する理由』は『リターンを得たい』です。
(本当は上記ぐらいシンプルでいいのに、行動派が『行動しないことのリスク』とか非行動派が『リターンは不確実』とか小賢しいことを言うからややこしくなる…)

 

ただその二つだと『結局、やるかやらないか』という、不必要にギャンブリーな選択を迫られるため、臆病な僕自身の胸に手を当てて、以下のように考えてみました。

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要は『誰まで巻き込むか(影響が及ぶか)』によってリスク・リターンの大きさは変わるため、各人が自分の許容範囲で行動を起こせばよいのだと思います。

例えば、僕のブログやポッドキャストは趣味でやっている範囲のため、完全に『自分』の範囲を出ません。『自分』の中で閉じることはリスク・リターンともに小さい

一方、転職は『家族』まで巻き込むものです。そのため、家族の生活・人生分のリターン・リスクが上乗せされます

『起業』も個人事業でやる分だと『家族』の範囲、そこに『友人と起業』が入ると友人の人生に影響が及びます。そのため一気にリスクが高まりますが、その分一人では成しえなかったことまでできるようになります

さらに『人を雇う』…となると、それは公器となり、まさに運命共同体ならではのリスク・リターンの大きさになります。

※余談ですが、上場はこのリスク・リターンを市場に開放することで経営者では背負いきれないレベルのリスク・リターンをとることなのだろうなと思いました。

 

そういったわけで、僕的には『リスクもリターンも自分の中で留まることならドンドンやってもよい』と、『行動する/しない基準』を設けたことで、その範囲で行動しやすくなりました。

 

2.『やらなきゃ何も始まらない』けど『やりゃ良いってもんでもない』

 

宝くじも買わなきゃ当たらない。よって、行動しないと何も始まらないと思います。

特に厨二病から目覚めた僕は

『ある日突然、異国の老紳士が僕の才能を見出してビッグチャンスを与えてくれる…なんてことは絶対にない』

『ある日突然、ヘッドハンターから電話がかかってきてイケイケのベンチャーの経営を任される…なんてことは絶対にない』

ということをナイスミドルになって痛感したため、『何かチャンスを得たければ、準備をしないとダメだ!』と思いました。

 

一方で、『やりゃ良いってもんでもない』とも思うのです。

実際に何かをやってみて思うのは『体力・時間・やる気は有限である』ということです。

例えば、僕は採用される/されないをわきに置くと、『この会社で働いてみたい』と思う会社があと10社くらいあるのですが、身体は一つなので難しいです。
(各社2年ずつ勤めれば可能と言えば可能ですが、いまこの時代に、この若さで働いてみたい…という諸条件は満たせず…)

そうなると取捨選択をして行動する…ということが必要になります。

もちろん『行動しないと向き不向きは分からん』というのも一理あると思っていて、実際は『自分で収まる範囲でお試ししながら行動する』というのが臆病派の僕にはちょうど良いと思いました。

(その意味では、他者に対して『行動せい』という人はある意味すごいと思います。色々とストレス耐性が強いのでしょうね)

 

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以上、久々に愚問自答してみました。

この愚問自答も書き溜めると使い道がいずれ出てくるかな…とも思うので、『小さな行動』の一つとして、ご笑覧いただければと思います。

 

結論:

『自分』で収まる範囲なら趣味として行動してみてもよいかも!

愚問小説「天職にいちばん近い島⑩マナブは学ぶ 後編」

(前編について)

うつから復職後、自分と他者との適切な距離をとれることで順調に復帰できた僕は、3カ月前から人事部へ異動し、人材育成担当となった。
僕の近況を喜ぶケイコさんに、『復帰する力』について話そうと思ったのだった…。

 

「人事で人材育成を担当することになってから、これをやりたいって考えていたことなんですけど…」

「何々?聞きたい」

 

ケイコさんは興味を持ってくれたようだ。

 

「仕事をしていると、年齢、職種、頭の良さ、性格に限らず、誰でも僕のようにうつになることってあると思うんです。
 でもみんなダウンするまでは『自分は大丈夫』って、他人事なんですよね。
 だから、僕は自分の経験を活かして『壁にあたったときに復帰できるしなやかな力』…みたいなものを、働く人が持てれば、世の中は明るくなると思うんです」

「うん、そうだね。まったく傷つかないことはないから、立ち直れることが大事なんだろうね」

「自分が復職した経験から何が効果的かな…って考えて、
 結局は自分の心の中の、ものごとの捉え方、人からの言葉の受け止め方、
 そこにある歪みを直すことが大事だと思ったんです」

「認知の歪みってことね。確かにうつ病治療に認知行動療法があるように、それを予防として使う…っていうイメージなのかな?」

「そうなんです。
 捉え方・受け止め方の見直しは定期的にやった方が良いと思っていて、僕は『セルフ・オンボーディング』って名前を付けました」

「…『セルフ・オンボーディング』?」

「人事に入ってから知った言葉なんですが、採用した人の導入教育を『オンボーディング』って呼んだりするんです。
 知識のインプットという役割もありますが、新しい環境で慣れるための気持ちの入れ替えの役割もあるんです。
 その、気持ちの入れ替えを自主的に、しかも定期的にやる…というのが『セルフ・オンボーディング』です。
(※筆者注:以降は医療・治療行為)

 

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変化って、異動や転職といった『環境の変化』だけでなく、
周りの人が替わることによる『関係の変化』もあると思うんです。

上司が変わることもあれば、社内の人は変わらなくてもお客さん側で担当替えがあればそれも『関係変化』なんですよね。

自分では意識していないうちに関係変化は起こっていて、ストレスや違和感が積もり、あるときドーンっと爆発しちゃう...。

それを防ぐには定期的に物事の捉え方や受け止め方を見直すことが大事で、

・ストレスや違和感を棚卸しして、

・自分の思い込みがないかを確認し、

・思い込みを除いてみる..

ということをするだけで、自分の心が整うし、そうすることで人間関係も良い状態が保てると思うんです。

『セルフ・オンボーディング』は自分自身の環境変化はなくても、関係変化に気づいて自分で気持ちを入れ替えることを指すのです。

 

・・・って、ちょっと話長かったですね。すみません。
料理いただきましょうか」

 

僕がそういうと、ケイコさんも「そうね」といって、お箸を手にした。

 

「マナブくんのいう『セルフ・オンボーディング』って、その通りだと思うな。
 わたしが人材紹介でお手伝いするなかでも、転職先でオンボーディング教育を受けて新しい職場に馴染めたっていう人は多いけど、本当は『自分はこの職場が長いんだ』って思う人の方が心を整えることが必要なんだろうね」

「そうなんです。だからうちの会社で人材育成の一環としてこの『セルフ・オンボーディング』をメニューにできないかなって思っているんです」

 

僕がそういうと、ケイコさんはグラスの中のワインを飲み、

 

「それすごくいい!
 マナブくん、それをコンテンツにして教育会社を起業したら?
 きっとうまくいくと思う!」

と言ってきたので、僕は思わず飲んでいたお酒が気管に入りそうになり、むせてしまった。

 

「(ゼイゼイ...)いやー、起業なんて、そんな。。」

 

僕がそういうと、ケイコさんはグッと少しだけ僕に近付いた。

 

「ううん。本当に良いと思うよ。
 マナブくんの今いる会社の人がストレスのない生活を送れるようにするのもとても良いことだけど、マナブくんの考えていることはもっと多くの人を救うと思うな」

「...そ、そうですかね」

「ホント。マナブくんが本当に起業するなら、わたしも今の会社辞めてお手伝いしようかな!」

 

もう一度お酒が気管に入りそうになった。

ケイコさんと一緒に起業?!

 

うーん....それはそれでとても楽しいかも・・・。

そうであれば、公私ともにしたパートナーとして、いっそ結婚するのも...。

 

と、頭の中でそんな妄想をしながら、天国のように楽しい夜は続いていく...。

 

【Season1 おわり】

 

愚問小説「天職にいちばん近い島⑨マナブは学ぶ 前編」

「以上の通り、まとめると翌年4月からの新入社員教育のポイントは2点。
 1点目は社内の様々な業務をレクチャーし、会社全体の動きに関する理解を深めること。
 2点目は外部のコーチングを導入し、1年間、社会人としての立ち上げにおけるつまずきを軽減することです」

 

12月中旬。
暖房の入った会議室で僕は資料の説明を終えた。

資料に目を落とし黙って聞いていた人事部長はウン、とうなずき、顔を上げた。

「わかりました。
 研修内容が増える分、職場配属が例年より1週間後ろ倒しになったり、外部コーチへの費用は純増になりますが、会社に慣れて活き活きとしてくれることで長い目で見れば投資以上の効果は得られそうですね

そう言い、おだやかな表情で僕と、隣に座る課長を見てくれた。

「では、この案で進めてよいということでしょうか?」

課長が確認を取ると、

「ええ、この案でお願いします」

部長はにこやかに返事をし、僕は机の下で小さくガッツポーズをした。

 

僕が営業から人事に異動してもうすぐ3カ月が経つ。
営業と異なり、社内向けの業務が中心となるため、仕事の進め方、書類の作り方、企画の考え方…何一つとっても新鮮で学ぶことが多い。

そんななか、さっきの会議では異動して初めて自分で企画した案が通り、とてもうれしい。
課長からもねぎらいの言葉をかけてもらい、僕自身の『異動後の仕事で無事立ち上がった』という手ごたえを感じた。

 

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金曜夜の新宿の和食料理店。
来たの初めてだが、テーブルが大きめで間隔に余裕を持たせているからか、全体的に落ち着いている。ネットの評判通り、良い雰囲気のお店だ。

 

「すごーい!異動してから順調そうでよかったね!」

向かいのケイコさんが喜んでくれる。

「異動の話を受けたときはビックリしましたし、営業の時と仕事が全然違うから、異動してからも慣れるのに時間はかかりましたけど…。
 やりたいことができているし、すごく楽しくてやりがいを感じますね

僕も笑顔になる。

 

2年間営業をしたところでうつになり、3カ月の休職期間を経て復職したのは去年の7月。
それからは日々の仕事に一喜一憂せず、自分の強み(と思われる)『ニーズ把握』をできるだけ生かす営業をしてみた。

 

お客さんから聞いた話をもとに、
『本当に困っていることは何か』
『うちの機械はどこまで解決できるか』
ということを丁寧に考え、勢いはないけどお客さんに寄り添った提案をしているうちに、自然と契約が取れ、納品後もお客さんから感謝の言葉をいただくようにもなった。

 

いま冷静に振り返ると、うつで休む前までの僕は『周りの人の言動』と『自分』を一体化しすぎていたのかもしれない

上司や先輩の言葉を素直に受け止めようとするあまり、頭の中で自分の考えがかき消され、自分で決定できることがなかった気がする。

相手の言葉について考える前に、『自分を客観的に見ること』の方が大事だったのだ。

復帰後は、休職中に色々と学んだり考えたことを思い出しながら、自分の置かれた状況を冷静に見ることで、上司や先輩、お客さんの言葉も客観的に見ることができた。
そうすると『言動』と『自分の考え』の間に『解釈』が入る余裕ができて、1つ1つの言葉やしぐさに必要以上に感情を揺さぶられることがなくなったのだ。

 

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復職した年は最初の3カ月休職していたにも関わらず、目標を達成できた。
成績自体はもっと上の人がいるが、僕は自分の仕事に初めて自信が持てるようになった

そして後輩や同僚から営業の仕方に関する質問を受けることも増え、職場での『居場所』ができてきた9月上旬、今いる人事部への異動通知を受けたのだ。

 

どうやら会社として人材育成に力を入れるようで、若手の目線で企画する人材を探したところ、僕が該当した…ということだ。
せっかく営業が楽しいと感じ始めていたということもあり一瞬戸惑ったが、
ふと『ケイコさんが僕にしてくれたようなアドバイスをして、会社全体を活き活きとできれば良いな』ということが頭をよぎり、前向きに受け入れることができた。

 

そして、先日、来年4月の新入社員教育の企画を部長にレビューしてもらい、Goサインがで出た…。

 

というのが、(長くなったけど)ここ1年半くらいで僕に起きたことだ。

 

「マナブ君、去年は苦労したと思うけど、いまはすごく活き活きしているね。わたしも嬉しいな」

 

去年、ケイコさんに相談したときも優しい笑顔に癒されたが、こうして心から喜んでくれるケイコさんもとても素敵だ。

 

「確かに去年の春、休職していたころはまさか1年半経ってこんな充実仕事が楽しく、やりがいを感じるようになるとは全く予想していなかったですね。
 3カ月の休職期間。長いか短いかは人によって感じ方が違うと思うけど、『人は3カ月あれば変わるきっかけをつかめる』って思ったりしたかな。
 僕の場合、たまたまケイコさんと再会したことが『きっかけ』だったんだと思うけど…」

 

「いやいや、わたしはそんな…。
 マナブくんを元気にしたのも、
 営業を通じてマナブくんのお客さんが満足できるようになったのも、
 そしてこれから先、マナブくんの会社の人が活き活きするのも…
 全部マナブくん自身の力だよ」

 

ケイコさんの言葉がとても嬉しい。

「僕の力か…。

 そうだ、復帰する力といえば、ちょっと考えていることがあって…」

僕は人事になったときからボンヤリと考えていたアイディアをケイコさんに聞いてもらおうと思った。

(続く)

愚問自答「ワーク・ライフ・バランスの議論がしっくりこないのはなぜか?」

外出自粛により仕事や生活の仕方が変わった人もいるかと思います。


以前からワーク・ライフの議論はバランスとかインテグレートとか色々言われていますが、ナイスミドルの僕としてはいまいち腹落ち感がありませんでした。

そういうわけでこれを機会に愚問自答してみようと思います。

※なお『何をもってライフやワークとするか』という定義論は大事ですが、僕はそういったそもそも論はあまり好きでないので、本記事では割愛します。

 

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ワークとライフに関する世間一般の論に関する違和感、僕が思う形について以下項目に沿って考えてみます。

 

 

1.ワークとライフのバランスは時々によって変わる

ワーク・ライフのバランスをその一瞬で切り取って考える論がありますが、それに違和感があります。
ワークとライフは年齢とかライフステージによりバランスが変動するもので、『常にバランスが取れている』というよりも『その時々で大事にすることに応じてバランスを調整する』というものと考えています。

よって『バランスが取れている状態』よりも『バランスを調整できる能力・関係性があること』の方が大事と思います。
その意味では、個人的には若いうちにワーク重めで仕事の体幹を鍛えておくと、その後、自分の裁量でバランスが取れるようになると思います。

ただし、これが難しい点として、

・残念ながら日本の多くの会社は年功型給与のため、若いうちにワーク重めだとやってられなくなる

・残念ながら『バランスを調整する』こと自体に理解の少ない人も一定数存在する

ということもあります。

そのため、『バランスを自ら調整する』ことの実践が難しい方もいるのだと思います

 

2.全員がワークとライフを統合(インテグレート)するのも不安

最近は『ワークライフインテグレート』などと言われており、そもそも分けないという論もあります。
『仕事とは生涯を賭して情熱を打ち込むものである』…という話ですが、これって全員がそうすべきか?という疑問を抱くわけです。

というのも、それはそれで当人は幸せでしょうが、一歩引いてみると、組織としてものすごくモノカルチャーな雰囲気になるためです。

もちろん、インテグレートしている人が非インテグレートな人にインテグレートを押し付けることはないでしょうが、ワークにあてる圧倒的な時間量の差から、インテグレート派の意見が組織内で強くなることは自然でしょう。

もちろん『本来、価値観は全員で共有するものである。モノカルチャー上等!』という考えもあると思いますので、それはそれで尊重です。

ただ、組織として

長く生きているとインテグレートしていた人がインテグレート解除することもある
・インテグレートした人同士で意見が合わないと仲違いリスクが高い

ということはあるでしょう。

 

3.ワークとライフで考えない

ということで、最近はワークとライフで考えず、「お金の出入り」「気持ちの出入り」で整理しています。

下図の通り、ライフワーク、ライスワーク、ホビー、ルーティンがあって、その中でバランスをとればいいのだと思います。

下図のようなものを書くと『楽しいことが多い方が良いんですよね?』と言われますが、そんなことはなく『全部必要』です。

というのも、

・楽しくはないことが楽しいことに確変することがある
・自分にとって楽しくはないことを楽しいと思う人もいる

ということで、自分の成長可能性と、他者の多様性の観点で、全部必要と思うわけです。

 

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昔はライフもワークも好調でいたい!と思っていましたが、最近は「楽しくはないこともあるものだよね」と、考え方が変わりました。
これは『苦労が必要』ということでなく、『楽しい/楽しくないは結構変わりやすいので決めつけない方が良い』ということを学んだためです。

ちなみに労働時間の長短については、最近は「短ければ短いほど良い」派です。

別にさぼりたいわけでなく、大好物でも1kgとか2kgとかはいっぺんに食べられないでしょ?という感覚で。。

 

結論:

ワークとライフという概念自体がしっくりこない!